なぜ北京パラ・クロカン立位で21歳の川除大輝が金メダルを獲得できたのか…41歳”レジェンド”新田佳浩との心のつながりとワックス戦略
一方の新田は再び10kmクラシカルで頂点に立っていた。通算金メダル数を日本人最多タイの「3」に伸ばした新田が、表彰台の真ん中に立つ勇姿を川除はスマホで撮影した。憧れの存在から背中を越えるべき目標に変わった瞬間を忘れないためだった。 その翌年、カナダで開催された世界選手権の20kmクラシカルで優勝した。当時、富山・雄山高の高校生だったが、さらなる高みを目指して、数多くの冬季五輪選手を輩出してきた強豪・日大へ進む。名門スキー部の門を叩いた初めてのパラリンピアンとして寮生活をともにしながら、健常者の選手たちと切磋琢磨する日々を自らに課した。パラ五輪代表の活動も平行していたホープを、新田はいつしか自身の後継者と呼ぶようになった。 2度目のパラリンピック競演となる今大会が近づくにつれ、新田は「集大成」という言葉を口にするようになった。最高峰のレースで新田を越えられる、もしかすると最後になるかもしれない舞台。川除は金メダリストになった万感の思いを言葉に込めた。 「ずっとトップを走ってきた新田さんに、次は自分が日本チームを引っ張っていけるような……引っ張っていける力がついたよ、という証明ができたと思うので。これからもさらに上を、さらに速くなれるように頑張っていきたい」 フラッシュインタビューの途中で、気がついたかのように言葉を途切れさせた川除は、引っ張って「いける」と覚悟と決意を込めて言い直している。 そして、バトンを受け継いだ思いは、ランキングが下位の選手から順に滑り出していくレースで川除より2人前の13番目でスタートし、57分46秒7の7位で先にフィニッシュしていた新田にもしっかりと伝わっていた。 「4年間よく頑張ってきたと思うし、まあ、すっきりしました」 平昌大会を一区切りに、と考えた時期もあった新田は、次の世代が台頭していない状況に思いとどまった経緯がある。だからこそ、いまにもこぼれ落ちそうな涙をこらえながら今大会までの自分をまずねぎらい、さらに強敵となるロシア勢が不在だったにせよ、他の追随を許さない滑りで金メダルを獲得した川除へ熱いエールを送った。 「ここがすべてのゴールではないですし、昨日の自分よりも今日の自分の方が強くなってほしいですし、今日の自分より明日の自分が強くなるという気持ちで一日一日を成長していってくれれば、必ずイタリアへも続くと思うので」 イタリアとは次回のミラノ・コルティナダンペッツォ大会を指す。しかし、4年後を語る前にまだレースが残っている。大会前に川除はこう語っていた。 「まだ2人で表彰台に立ったことがないんですよ」 今日9日に予選・決勝が行われる男子スプリントには川除だけでなく、新田も今大会における最後の個人種目として出場を予定している。妙高での出会いから平昌での再会をへて北京でのダブル表彰台へ。10年以上にわたってパラクロスカントリー界で紡がれてきた、バトンをめぐるドラマはいよいよクライマックスを迎えようとしている。