なぜ北京パラ・クロカン立位で21歳の川除大輝が金メダルを獲得できたのか…41歳”レジェンド”新田佳浩との心のつながりとワックス戦略
生まれつき両手足の指の一部が欠損している川除はポール(ストック)を持たない代わりに、上りの部分ではまるでスピードスケーターのように両手を大きく振る。 「上半身を動かしながら下半身に連動させて、しっかりと雪面に力を伝えることが大切。外国勢と比べて小柄な分、上りを軽快に登れるのも強みだと思っています」 リズミカルかつダイナミックなピッチ走法でコース前半部分の上りを制した川除は、下りでは前傾姿勢になって腕を休めて体力を回復させる。2位との差は10km地点の49秒8から15kmでは1分15秒5へと広がり、完全な独走態勢に入った。 スタッフとともに選んだワックスも勝因のひとつだった。クロスカントリーではスキー板裏面の中央に滑り止めの、先端とテールには逆に滑らせるワックスをそれぞれ塗り分ける。気象条件や雪面の状態に応じて、どのような種類のワックスを使うかが、勝敗を分ける重要なポイントである。 プレ大会が開催されず、コースの下見もできなかったが、スタッフと共に、ひとつの予測を立てた。国家バイアスロンセンターは、スタート時の気温がマイナス2度と普段より“高め”だったが、さらに気温が上昇すると読んで、ワックスを選んだのだ。 「それ(気温の上昇)も考慮した上でワックスを選んでいたので、レース後半でも上りでしっかりとグリップを止められた。それで失速せずに、タイム差を広げられたと思う」 予想通りにレース中に気温は上昇。3周目に入る直前に川除は帽子を脱ぎ捨てた。 富山市で生まれ育った川除は小学校1年生でいとこに誘われてスキーを始め、地元の猿倉ジュニアスポーツクラブに入った。そして、4年生で運命的な出会いを果たす。 2010年バンクーバー大会の10kmクラシカル、1kmスプリントを制した新田を、合宿を行っていた新潟・妙高に訪ねた。猿倉ジュニアスポーツクラブの指導者が新田と親交があった縁で練習をともにし、2つの金メダルを首にかけてもらった。 子ども心を震わせた感動が、クロスカントリーの道を本格的に歩ませた。いま現在に至るポールを持たない走法を学んだのもこの時期だった。迎えた4年前の平昌大会。新田と同じ舞台に立った川除は、個人種目で世界の壁の前に打ちのめされた。