髙橋 藍(サントリーサンバーズ大阪)「唯一無二の存在になりたい。バレーボールを夢のあるスポーツにしたい」
準々決勝のイタリア戦は日本時間の20時スタートとテレビ中継の時間帯も良く、平均世帯視聴率は23.1%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)と全競技中で最高を記録。しかし、日本は2セットを先取し、第3セットも24-21としてマッチポイントを迎えたものの、そこから大逆転負けを喫した。 ――パリ五輪の記憶はどのように残っていますか。 髙橋 悔しさはいまもあります。無観客だった3年前の東京五輪に比べ、パリは大観衆の中で行なわれ、独特の雰囲気があったのは確か。緊張感もあったし、最後は"あと1点"を取る難しさを痛感しました。 ただ、それが五輪だということもやりながら感じていましたし、その悔しさを晴らすには次の五輪で結果を出すしかない。僕は最後の1点が取れずに負けたと思っているし、その1点を取るために成長したいと思っています。 ――悔やまれるのは、やはり第3セット。見ている誰もが「勝った」と思いました。 髙橋 僕自身ももちろん、チーム全員がそう思ったんじゃないですか。でも、そうした少しの気の緩みが逆転負けにつながってしまった。 第3セットを落としても、まだ第4、第5セットはありましたが、相手は強豪イタリア。その時点で気持ち的には追い込まれて、再びエネルギーをフルにして戦うのはキツかったというか、難しかったです。 ――「(バレーボール選手として)唯一無二の選手になりたい」。髙橋選手は、さまざまな媒体でそんな発言もしています。どんな経緯でそうした考えを持つようになった? 髙橋 何かキッカケがあったわけではなく、自分の性格なのかなと思います。人と同じことをしたくないというか。もちろん、これまでも人が敷いたレールに乗ることはありました。 例えば、イタリア行きは(日本代表の先輩である)石川祐希選手が成功している姿を見て、自分も行こうと思った部分はありますし。五輪でメダルを取るという目標も、チームメイトと共有しています。 ただ、最終的にどんな選手になりたいかと言われたら、いままでにいなかったようなバレーボール選手になりたい。バレーボールを夢のあるスポーツにしたいという思いもありますし、それはいままで誰もやれていなかったことなので、唯一無二と言わせてもらっています。 髙橋は小学2年でバレーボールを始めたが、その歩みは日本男子バレーの低迷期と重なる。08年北京五輪は出場するも最下位、12年ロンドン、16年リオと2大会連続で五輪出場を逃していた。