北陸新幹線の車中で遭遇した能登半島地震 12時間立ち往生…旅行でも最低限の備えの必要性痛感
能登半島地震から1年。 2024年1月1日、午後4時過ぎに金沢駅から新幹線に乗って富山駅に向かっていた私は、新幹線の中で大きな揺れに遭った。 「脱線するかも…」と思ったほどの激しい揺れだった。 車窓から見える景色が一変し、土砂崩れがあちこちで起きていた。 幸い、新幹線は脱線することもなく、地震直後は停電もしていなかったので、新幹線が動き出すまでしばらくかかるだろうが、なんとかなるだろうと思っていた。
■「なんとかなる」という希望が打ち砕かれる
その考えは甘かった。 「新幹線の運転再開の見込みは未定」とのアナウンスが流れる。 金沢駅から富山駅まではおよそ20分ほど。 私は小さなペットボトルの水しか持っていなかった。 車内販売があったので、水や食料はなんとかなると思ったが、「小さなお子さんを連れたご家族が多くいらっしゃいます。水を譲っていただきたい」との車内アナウンスが。 私は旅行だったが、周りの乗客はこれから帰省しようとしている人がほとんどで、小さな子どもを連れた家族が多かった。 車内販売では、何も買わないことにした。
■停電時にトイレは使えない
その後、「停電になるかもしれないから、トイレに行ったほうがいい」と何人かの乗客がトイレに駆け込む。 すると、しばらくして停電した。 「停電のため、トイレは使用できません」というアナウンスがあり、停電時にトイレが使えないことを初めて知った。 ここからは、トイレの我慢と寒さとの戦いが始まる。 防寒着は持っていたが、次第に寒くなってきた。携帯カイロを持って行かなかったことを後悔した。 また、トイレに行きたくならないように、水分はできるだけ取らないようにしようと決めた。
■停電で時間が長く感じる
その後も何度も大きな余震で、新幹線は大きく横に揺れた。 明かりがなくても大丈夫だったのは、ほんの1時間程度で、すぐに真っ暗に。暗闇が不安な気持ちにさせる。 ずっと泣いている子どももいた。 電気が何度かついたこともあったが、復旧作業で停電していた時間は長かった。 寝て体力を温存するしかないが、寒くて眠れない。 日付が変わるころ、水と食料が届いた。とてもありがたかったが、まだまだ先は長いのだと覚悟した。
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