過去2回の「南北首脳会談」を振り返る 坂東太郎のよく分かる時事用語
第2回南北首脳会談(2007年10月)
ところが2006年に北朝鮮が核実験を実施し、協議も壁にぶち当たります。 焦りを深めたのが当時の盧武鉉(ノ・ムヒョン)韓国大統領。前任の金大中大統領の「太陽政策」を引き継ぎ、深化させてきた当事者で、08年2月の任期満了までわずかしか残っていません。アメリカと軍事同盟を結びつつ、北朝鮮には温かな日差しで態度を軟化させようというもくろみは「太陽」どころか強烈な「北風」でしっぺ返しを食らい同盟国を激怒させる始末です。 07年韓国大統領選挙も、対北で融和一辺倒という政策に批判的な保守派に政権を奪還される恐れが現実味を帯びてきました。そこで起死回生をはかるべく選挙戦最終盤の10月、盧大統領は平壌へ乗り込んで金正日総書記と2回目の南北首脳会談へ臨んだのです。 結果は第1回よりはるかに印象の薄いものとなりました。「軍事的敵対関係を終わらせる」「平和のために協力する」といった文言は第1回の踏襲ないしは確認に過ぎません。韓国側が目玉にしたかった朝鮮戦争終結のプロセスも「3者または4者の会談を開催する」に止まりました。前述のように53年の休戦協定に調印したのは実質アメリカの「国連軍」と中国と北朝鮮。したがってこれを正式な終戦宣言とするには米中朝3か国の合意でいいとするのが北朝鮮の年来の主張です。署名していない韓国はその後の平和協定で舞台が回ってくると、南北首脳で「3者または4者」でと決めたのは「3者」=韓国除外も認めるとなかば韓国が認めたようにも読めます。 最大の話題であった核問題は「6か国協議の合意履行に共同で努力する」とごく当たり前の書きぶりで南北独自の解決策は何ら示されませんでした。韓国民の評価も総じて低く、12月の大統領選挙はライバルの保守系、李明博(イ・ミョンバク)候補が勝利を収めます。その後、北が09年に2度目の核実験を強行したこともあって、主に韓国からの経済協力もほとんど実現しませんでした。