過去2回の「南北首脳会談」を振り返る 坂東太郎のよく分かる時事用語
第1回南北首脳会談(2000年6月)
そんな中、1998年に民主化運動の指導者として知られた金大中(キム・デジュン)が韓国大統領へ就任し、丁度襲いかかっていたアジア通貨危機を必死にしのぎながら対北外交で「太陽政策」と称する融和策を採りました。 米朝枠組み合意の米側トップであった民主党のクリントン大統領の任期切れ(2001年1月)を控え、対北強硬派の多い共和党政権に交代する可能性が高まった段階で、金正日総書記が金大中大統領の提案に乗る形で実現したのが、史上初の「第1回南北首脳会談」(2000年6月)です。 会談は金大中大統領が北朝鮮の首都・平壌を訪れて開かれました。順安空港に降り立った年長の大統領を、テレビが生中継する中、総書記が迎えて両手を握るという「金正日=謎の独裁者」のイメージを覆す演出に打って出て、世界をアッといわせます。会談が始まったら始まったで二度ビックリ。何しろそれまで軍事パレードでの「英雄的朝鮮人民軍将兵諸君に栄光あれ」というワンフレーズだけが肉声として伝わっていた北の最高指導者が雄弁に語るのだから。一部に「まともに会話できないのではないか」という憶測まであった人物の豹変振りでした。 会談の結果、「南北共同宣言」が発表されました。まずは南北共通の悲願とされる「平和統一」のあり方について「民族同士で」「力を合わせ」「自主的に解決」と定めました。「自主的」という言葉にはアメリカの軍事力を半島から排除する(北朝鮮の主張)か埒外に置くか(韓国の主張)という議論を踏まえた折衷です。 統一の手法は「南側の連合制案」と「北側の緩やかな連邦制案」に「共通性があると認め」て統一を志向するという文言で収まります。「連合制」は南北の政体が異なるのを認めた上で、まずは協力関係を築いていこうというもの。「連邦制」は中国と香港の「1国2制度」に似通った提案です。 また朝鮮戦争でバラバラになった離散家族の再会を促す訪問団の交換や経済協力を通した発展と信頼強化にも言及しています。 相互訪問は同年に2度行われ、宣言に明記された金正日総書記のソウル訪問も一時は明るい見通しで語られます。同年、金大統領は「特に北朝鮮との平和と和解への業績」などを理由にノーベル平和賞まで授与されました。 しかし米大統領選挙は北朝鮮の核疑惑を重大視して「米朝枠組み合意」を疑問とする共和党のブッシュ候補が勝利。翌2001年に「同時多発テロ」が勃発し、02年1月に「悪の枢軸」発言をして北への圧力を強める姿勢を鮮明にします。同年には北による核兵器に欠かせない高濃縮ウランを使った開発計画が明らかとなり、ついに03年、NPTから脱退宣言。アメリカは北朝鮮に「完全かつ検証可能で後戻りできない核廃棄」をのませるべく、米朝に韓国、中国、日本、ロシアを加えた「6か国協議」の枠組みをスタートさせました。