過去2回の「南北首脳会談」を振り返る 坂東太郎のよく分かる時事用語
10年半ぶり3回目となる南北首脳会談が4月27日に開かれます。会談場所は板門店の「平和の家」で韓国側にある施設。北朝鮮の指導者として金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長が初めて軍事境界線を超えて韓国を訪問し、文在寅(ムン・ジェイン)大統領と面会します。朝鮮戦争の終結宣言や非核化などが議題になるとみられますが、ここで、これまでの過去2回の南北首脳会談を振り返ってみます。 【写真】「トランプ・金」首脳会談は決裂しない? 体制保証と非核化は可能か
2国に分断、終わっていない朝鮮戦争
朝鮮半島を今の大韓民国(韓国)と北朝鮮がある地域とすれば、7世紀後半の新羅による統一以来、朝鮮半島は基本的に「1つの国」でした。1910年から始まった日本の植民地支配も「一体として支配」に限っていえば変わりません。 第二次大戦後、アメリカ(南)とソ連(北)が軍政を敷き、現在の2国が分立。1950年に始まった「朝鮮戦争」で激突して100万人以上の死者を出した末、53年に韓国を支援したいわゆる「国連軍」(実態はアメリカ主導の多国籍軍)と、北朝鮮および北を事実上支援した中国との間で、53年7月に休戦協定が調印(=署名)されました。韓国は署名していませんし、平和協定も結ばれていないので、法的に南北朝鮮は戦争状態のまま。北朝鮮はこの日を「戦勝節」などと呼んで誇っていますが、実際には武力による南北統一が果たせず、アメリカも含めて戦争状態も継続中。北の焦りの根本はここです。 その後は「米ソ冷戦」構造に南北とも組み込まれ、北は金日成(キム・イルソン)による共産主義独裁体制、南も強権が目立った李承晩(イ・スンマン)や軍事クーデターで実権を握った朴正煕(パク・チョンヒ)や全斗煥(チョン・ドゥファン)ら軍人中心の政権が続き、民主化運動とのせめぎ合いが絶えませんでした。 遅くとも1980年代以降の北朝鮮は、経済不振に加えて、91年のソ連崩壊に、とどめを刺す冷戦終結で深刻な経済的打撃を受けると同時に、東欧からソ連に至った共産主義国家崩壊ドミノに巻き込まれないよう懸命でした。94年には建国以来、政権トップの座にあった金日成が死去。80年代には後継と決まっていたとみられる息子の金正日(キム・ジョンイル)が引き継ぎ、98年に党と国家の最高職位(総書記、国防委員長)に就いて体制が本格化します。 この頃すでに北朝鮮が核兵器を開発しているのではないかとの疑惑が噴出しており、米朝間が緊張します。93年に北朝鮮は核拡散防止条約(NPT)からの脱退意向を表明(その後保留)。そこで北が核開発凍結や国際原子力機関(IAEA)査察受け入れを約束する代わりに軽水炉をアメリカが提供する「米朝枠組み合意」が1994年に結ばれました。しかし履行は遅々として進みませんでした。