過去に人違いされたことも…なぜ幕尻の徳勝龍は20年ぶりの“史上最大の下剋上V”を果たすことができたのか?
大相撲初場所の千秋楽が26日、東京・両国国技館で行われ、西前頭17枚目徳勝龍(33、木瀬)が、大関の貴景勝(23、千賀ノ浦)を寄り切り、14勝1敗で初優勝を飾った。幕内力士42人の“最下位“幕尻からの下剋上Vは、2000年の春場所で貴闘力(当時・東前頭14枚目)以来、史上2人目の快挙となった。また木瀬部屋からは初の優勝力士となり、奈良県出身では、98年ぶり2度目。徳勝龍の奇跡の優勝はいかにして生まれたのか?
2つの転機
その瞬間、徳勝龍は号泣した。負ければ正代(28、時津風)との優勝決定戦にもつれこむというプレッシャーのかかった結びの一番で、両横綱が休場の波乱場所で“最強“の貴景勝を寄り切ってみせた。 「嬉しい。15日間苦しかった」 33歳5か月の初賜杯に溢れるものをこらえきれなかった。 国技館を感動と涙と笑いに包んだのは、その優勝インタビュー。 最初の「自分なんかが優勝していいんでしょうか?」でつかみはOK。「(優勝は)意識することはなく…。嘘です。めっちゃ意識してました(笑)。バリバリ、インタビューの練習してました」と続けて場内をどっと沸かせた。2009年に初土俵。元横綱の稀勢の里、豪栄道、栃煌山らと同じ「花のロクイチ組」の一人だったが、ここまで日陰を歩いてきた。徳勝龍はいかにして頂点に上りつめたのか? 相撲ジャーナリストの荒井太郎さんによると、33歳の徳勝龍の相撲人生には、2つの転機があったという。 「学生時代は上位入賞レベルの実力で幕内で活躍はするだろうなとは思いましたが、まさか優勝するとは思ってもいませんでした。強豪の明徳義塾高校時代、卒業後の進路に困っていたそうですが、隠れた素質を見抜き、真っ先に声をかけて、熱心に誘ったのが、亡くなられた近大の伊東勝人監督です。優勝後のインタビューで徳勝龍も“近大に行っていなかったらプロになっていない“と語っていましたが、まさに人生の転機だったのでしょう。伊東監督は厳しい人で知られていますが、コツコツとあきらめず努力することを教えられたと思います」 徳勝龍のしこ名の「勝」は、伊東さんの名前からもらった。その相撲人生を導いてくれた恩師は、7日目の18日に55歳の若さで天国へ旅だった。徳勝龍は、5日連続で突き落としで勝つなど、奇跡的な快進撃を続けたが、「伊東監督が一緒に戦ってくれていた」と、亡き恩師に背中を押し続けられていたという。 荒井太郎氏が指摘するもうひとつの転機が、2010年の大横綱・北の湖親方との出会いだ。木瀬部屋は暴力団関係者に入場券を手配したことが問題となり2010年に一時閉鎖、徳勝龍ら部屋の所属力士は、北の湖部屋預かりとなった。