『型破りな教室』学び方で人は変われるか? 一人の教師による授業革命が、映画の枠組みを超え我々の心をも突き動かす
『型破りな教室』あらすじ
麻薬と殺人が日常と化した国境近くの小学校。子供たちは常に犯罪と隣り合わせの環境で育ち、教育設備は不足し、意欲のない教員ばかりで、学力は国内最底辺。しかし、新任教師のフアレスが赴任し、そのユニークで型破りな授業で、子供たちは探求する喜びを知り、クラス全体の成績は飛躍的に上昇。そのうち10人は全国上位0.1%のトップクラスに食い込んだ!
メキシコで300万人を動員した大ヒット作
学校。それは子供が住み慣れた家の外で初めて足を踏み入れる社会であり、そこでどのような友人と巡り合うかも重要だが、同じくらい教師の存在や影響力は大きい。子供にとって教師は、親以外で接する初めての大人。歳の離れた他人同士だからこそ、思いを口にしないとわかり合えないこともあるし、はたまた、毎日顔を合わせることで親子以上に気付き合えることもある。 そんな関係性を描いた”学園モノ”が世の中には数多く存在する。真っ先に思い浮かぶこのジャンルの代表作といえば、ロビン・ウィリアムズ演じるキーティング先生の「おお船長よ!」という朗々とした呼びかけでもお馴染みの『いまを生きる』(89)だろうか。もしくは近年、生徒に”書くこと”で社会を見つめ、人生を切り開かせようとした『フリーダム・ライターズ』(07)も胸を揺さぶる作品だった。 一方で、本国メキシコで300万人を動員して大ヒットを記録した『型破りな教室』(23)の主人公フアレス先生も、映画史に残る教師陣の一人として加えるべきだろう。演じるのはエウヘニオ・デルベス。オスカー作品賞に輝いた『コーダ あいのうた』(21)のコミカルなれどエネルギッシュな音楽教師役(”V先生”としてお馴染み)で主人公の才能を見出し、世界的な脚光を浴びた存在だ。
一人の教師が巻き起こした授業改革とは?
今回、デルベスが演じるのは、国境の街マタモロスにある学力最底辺レベルの小学校に赴任してくる教師役。ここでは強盗、殺人、麻薬売買、ギャング同士の抗争など様々な問題があふれ、子供たちは日々、命の危機に晒されながら生きている。また、家庭の貧困などの経済的な理由で学校へ通う道を閉ざされてしまう例も少なくない。そんな現実の中で、生徒たちは「学び」が実生活にもたらす影響力なんてこれっぽっちもイメージできず、また教師たちの中にも教える意欲を失い、職務上の保身に回ってばかりの者も多い。 そんな中で自ら希望してこの学校へやってきたフアレス先生は、初日から大きな波を起こし始める。彼は突如として生徒たちに「今にも船が沈みそうだ!」とイメージを喚起させ、びっくりして口半開きになる子供らに、「さあ、クラス全員の23名が6つの救命ボートに乗り込んで生き延びるにはどうすればいい?」と問いかけ、皆に考えさせる。単純な算数の計算だ。しかし、ある生徒はそれをきっかけに「なぜ物は浮かんだり沈んだりするのか?」という物理学的な命題に行き着き、またある生徒はそこで生じる人間の権利や平等といった哲学的な要素に興味を持ちはじめたりもする。人は千差万別。思考の枝は無数に分かれていく。 フアレス先生の狙いはそこだ。教科書やカリキュラムに沿って単に知識を押し付けるのではなく、生徒それぞれに興味関心を見つけさせ、先生はそこで生じた疑問を解き明かすためのヒントやアドバイスを与える。そして後は独力で乗り越えさせていく。 そうやって答えを見つけた生徒たちの表情はなんと生き生きとしていることか。この学校や現実社会ですっかり意味を見失っていた「学び」が本来の輝きを取り戻しはじめ、その様子がありありと伝わってくる。さらに彼らは教室で車座になって個々が習得した知識を発表し、共有しあうのである。 そんな中、フアレスは女子生徒の一人が並外れた理数系の才能を秘めていることに気づき、彼女が可能性の扉を押し開くための力となりたいと願うが・・・。