ブーイングを力に変えたアーニー・エルス。ニクラスが認めた「ビッグ、ストロング&タッチ」を兼ね備えた新星【レジェンドたちの全米OP・1994年】
先週、先々週と米PGAツアーチャンピオンズで2週連続優勝を果たしたアーニー・エルス。彼もまた全米オープン覇者である。1994年ピッツバーグ近郊のオークモントCCで開催された全米オープンでニューヒーローが誕生した。南アフリカ出身の24歳アーニー・エルスだ。72ホールでは決着が着かず翌月曜日におこなわれたプレーオフは厳しい暑さのなか20ホールにも及び、エルスがアメリカのローレン・ロバーツ、スコットランドのコリン・モンゴメリーを下しチャンピオンに輝いた。 1995年ANAオープン来日で撮影したアーニー・エルスのドライバー連続写真【10枚】
最終日の18番でエルスのティーショットはあわや隣のホールかというほど曲がった。 「リーダーボードを見ていなかったから1打リードしているのを知らなかった。もし知っていれば安全に3番ウッドか2番アイアンで打っていたのに」 後悔先に立たず。フェアウェイに出した2打目は運悪くディボット跡へ。3打目でなんとかグリーンを捉えたが13メートルのバーディトライは「奇跡が起きるかもしれない」という期待と「そんなのいくら何でも虫が良すぎる」という思いが交錯した。 そして彼は慎重にファーストパットを寄せボギーで収め三つ巴のプレーオフに進出した。 プレーオフの朝、ロッカールームに行くとそこには母国の先輩でグランドスラマー、ゲーリー・プレーヤーからのメッセージがあった。 「私の跡を継ぐのはキミだ。幸運を祈る!」 会場に詰めかけたギャラリーの9割以上がロバーツを応援する異常な雰囲気。ブーイングがこだまする完全アウェイの状況でエルスは1番でいきなりボギー、2番でトリプルを叩く最悪のスタートを切った。 「こんなところで僕はいったい何をやっているんだ」 自分に喝を入れる。3番バーディでバウンスバック。その後はバーディとボギーを繰り返しロバーツと並ぶ3オーバー74でホールアウトした。 78に終わったモンゴメリーは脱落し、そこからはロバーツとの一騎打ちになった。10番から始まったサドンデス、2ホール目の11番でロバーツがパーをセーブできずエルスが栄冠に輝いた。 ブーイングはいつしかエルスの健闘を讃える声援に変わっていた。 表彰式では純銀製の特大トロフィーのカップの蓋を落とすアクシデントも。 「あれ(蓋)が落ちて自分でも笑った!」 エルスにはこの手の逸話が多い。 南アで優勝したとき祝勝会をおこなったバーの壁に賞金の小切手を貼ったまま帰ったこともある。それだけ大らかでタイガー・ウッズも羨んだ、ゆったりとした美しいスウィングの持ち主だから“ビッグイージー”の愛称で親しまれた。 優勝争いの先頭を走っていた決勝ラウンドでも、顔見知りの少年を見つけると「暑いだろ? これ飲んで」とクーラーボックスから冷たい飲み物を取って手渡したナイスガイ。 ジャック・ニクラスは「いつかビッグ、ストロング、タッチ、3拍子揃ったゴルファーが出現すると思っていた。どうやらそんな若者が現れたようだ」とエルスに大きな期待を寄せた。 タイガーが「ハロー、ワールド」の名言でゴルフシーンに登場するのはそれから2年後のことである。
川野美佳