なぜ日本はここまで「衰退」したのか…意外と知らない、多くの人が取り憑かれた「病理の正体」
わたしたちはいつまで金銭や時間など限りある「価値」を奪い合うのか。ベストセラー『世界は経営でできている』では、気鋭の経営学者が人生にころがる「経営の失敗」をユーモラスに語ります。 【写真】人生で「成功する人」と「失敗する人」の大きな違い ※本記事は岩尾俊兵『世界は経営でできている』から抜粋・編集したものです。
さらば経営嫌いのオトナ:日本社会をむしばむ自己責任論の欺瞞
日本には「価値は有限でしかありえない」という誤った観念が普及した。 原爆を落とされ、戦後の焼け野原から、石油等の資源もない中で、たった二十数年で世界第二位の経済大国になった、価値創造大国の日本がこうした諦念に支配されること自体が不合理極まりない。もちろん、不合理を後押しした世界情勢もあった。 資本主義と国際化と不換紙幣制度が出会ってまだ半世紀である。この半世紀で、人類は初めて通貨の価値が国際的に極端に変動する社会を経験した。その結果として、手段であるはずの金銭の価値に過度に振り回されるようになった。国際政治によってつい最近まで円高・デフレ誘導されてきた日本はなおさらである。 価値は有限だとする思い込みが流行するとともに、「価値を誰かから上手に奪い取る技術」を売り歩く人々が跋扈した。いかにして価値を掠め取ったかを自慢するだけの書物が街に溢れた。多くの人は経営の概念を誤解し経営を敵視するようになった。そうするうちに本来の経営の概念は狡知の概念と入れ替わってしまった。 もし価値が一定で有限ならば、誰かが価値あるものを得ているのは別の誰かから奪っている以外にありえない。善人対しても「我々に気づかせないほど巧妙に、我々の価値を奪っているのでは」という疑念がよぎることになる。 こうした誤った推論により、日本の現状を誰かのせいにする言説が流行した。若者が悪い、高齢者が悪い、男性が悪い、女性が悪い、労働者が悪い、資本家が悪い、政治家が悪い、国民が悪い……。現代では誰もが対立を煽る言葉に右往左往している。 自己責任論という名の、責任回避の詐術に全ての人が疲弊させられてきた。誰もが別の誰かのせいにし、自ら責任を取る人はどこにもいないかのようだ。 まるで日本の戦争責任問題である。 国民は官僚が悪いといい、官僚は軍部が悪いといい、軍部は政治家が悪いといい、政治家は国民が悪いといって元に戻ってしまい、責任の所在が消えてしまう。そのうちに「空気が悪い」「時代が悪い」ということになる。総・無責任体制と表現できるだろう。 だが、本当の責任は価値有限思考にこそある。特定の人間のせいではなく、私含めすべての人に大なり小なり巣くっている思考のせいなのである。もちろん、政治家や経営者など、多数の人生に影響を与えてしまう職業であれば思考に対する責任はより大きい。 価値有限の言説を得意げに吹聴する人も、価値あるものは無限に創り出せるのに、自分には無理だと思い込んでいるだけだ。だが、人間を捨ててはいけないが、思考は捨てられる。 本当は、価値は無限に創造できる。 そして価値が無限に創造できるものならば、他者は奪い合いの相手ではなく、価値の創り合いの仲間になれるのだ。 つづく「老後の人生を「成功する人」と「失敗する人」の意外な違い」では、なぜ定年後の人生で「大きな差」が出てしまうのか、なぜ老後の人生を幸せに過ごすには「経営思考」が必要なのか、深く掘り下げる。
岩尾 俊兵(慶應義塾大学商学部准教授)