PL清原和博の1984年センバツは30本塁打→今年は3本…高野連“飛ばないバット採用”背景に名将・尾藤公の遺言「一番の仕事じゃないかと」
2024年春のセンバツ、高校野球の質が変わったのは「新基準」となった金属バットによって本塁打数が激減したためだった。“飛ばないバット”とも表現される中で、今回の決断に至るまでの経緯と歴史的背景について、日本高野連の担当者に直撃取材した。(全3回の第1回/第2回、第3回も公開中) 【レア写真】「ガリガリな高3の大谷さん18歳、木製バットでもスゴい…」ニコニコのPL清原&桑田、ヤンチャそうなダルら名選手の球児時代。「1本3万5000円!」の“飛ばないバット”も見る 春の甲子園は、群馬県の健大高崎高校の初優勝で幕を閉じた。 今大会から明らかに球場に響く「打球音」が変わった。金属バットの規格が、2001年以来23年ぶりに変更されたからだ。 金属バットの変遷は、昭和中期以降の高校野球の変遷の歴史でもある。金属バット規格変更を主導した日本高等学校野球連盟(日本高野連)への取材をもとに、その経緯を詳細に検証し、今後を展望することにしよう。
金属バット導入から、今年がちょうど50年だった
「高校野球が金属バットを導入してから、今年でちょうど50年になるんです。今の日本高野連の寶馨(たから・かおる)会長が高校3年生の時だったそうです。また今年はセンバツ高校野球が始まって100年でもあります。そうしたご縁も感じながら、今回の規格変更に携わらせていただきました」 こう話すのは、日本高野連の古谷純一事務局次長である。 熱心な野球ファンでも、実は金属バット導入の経緯を知る人は少ないのではないか。まずはその歴史的背景について――。 50年前、1974年の3月4日、日本高野連は常任理事会を開き「金属製バット(アルミ製)」の導入を決めた。 その最大の目的は「経済性」だったという。 木製バットは折れやすい。そのためバットの購入が選手、学校にとって大きな負担になっていた。前年の1973年、ハワイの高校野球と親善野球をした際に、ハワイ側から「アルミ製の金属バットを使用しても良いか」と申し出があり、日本高野連は初めて「金属バット」の存在に気が付いた。 当時の木製バットは自然乾燥ではなく人工乾燥が主流になり、以前より折れやすくなっていた。金属バットは木製に比べて高価ではあるが、すぐに折れたり変形したりすることはまずない。金属バットの導入で経費は軽減される。前年のオイルショックの影響もあって当時の日本は不景気風が吹いていた。
【関連記事】
- 【つづき→第2回】“飛びすぎ金属バット問題”は中村奨成「清原超え6HR」の以前から深刻だった…“日米の開発対立”舞台ウラを高野連が明かす
- 【レア写真】「ガリガリな高3の大谷さん18歳、木製バットでもスゴい…センバツでは藤浪からHR」ニコニコの清原と桑田、金属バット相手でも気迫投球のダルなど名選手の球児時代を全部見る
- 【つづき→第3回】「新基準バットは3万5000円と高価だが」記者の直撃に高野連「申し訳なく思いますが…」吉田輝星の“球数制限”がきっかけ、今後どうする?
- 少年野球で1本4万円もする「飛ぶバット」はアリか? “値段が高すぎ”中学野球では過去に禁止も…「ヒット1本1000円なら悪くない」の声
- 【写真】「飛ぶバット」の実物写真を見る。20年前の発売当時バカ売れで“お詫び”貼り紙も&山崎武司さんの懐かしい豪快ホームランも(全6枚)