68年続いた幸せな運転生活をどう終わらせようか?
自動車ジャーナリストのレジェンド岡崎宏司氏が綴る、人気エッセイ。日本のモータリゼーションの黎明期から、現在まで縦横無尽に語り尽くします。 岡崎宏司の「クルマ備忘録」 クルマ好きだった青年が自動車ジャーナリストになり、星の数ほどの試乗をこなし、気づけば68年、200万キロに達する運転生活を無事故で送ってきました。「運転できるのはあと数年だろう」という筆者が振り返る、充実したカーライフの思い出とは?
68年間/200万キロを無事故で走り切った!
前回は、家内が68年間の運転生活を無事終えたことを書いたが、今回は僕の運転生活について書く。 僕が免許証を取ったのは16歳になってすぐの1956年4月。家内より2ヶ月前のこと。以来現在までの68年間運転を続けている。 家内と同じ年月を運転してきたわけだが、運転距離ははるかに違う。僕のそれは、たぶん200万キロほどに達しているだろう。 オートバイに夢中になった3年間を含めて、僕の運転距離は半端ではなかった。
オートバイは毎日乗った。学校を終わるとすぐ家に戻り、オートバイを引き出して仲間の元に。誰かの家だったり、喫茶店だったり、多摩川の橋の袂だったり、、、。 橋の袂で集まるということは、「どこか走りに行こうよ!」のサインで、たいてい、行き先は江ノ島だった。 週末は箱根か日光が多かった。コアな仲間は8人だったが、みんな上手くて速かった。多くのバイク グループがあったが、僕たちは「ちょっと知られた!」「一目置かれた!」グループだった。みんな速かったが、誰も事故は起こさなかった。 僕たちはいくら飛ばしても、暗黙のルールとして、「守るべきことは守る」という基本を徹底していたから、事故を起こさずに済んだのだろう。 とはいっても、みんなで話し合ったわけでもないし、ルールを作っていたわけでもない。でも、なぜか、いつの間にか「暗黙のルール」ができていて、誰もがそれを守った。 カッコつけた言い方かもしれないが、われわれは、走りを楽しみながらも、常に、基本を、ルールを、安全を、、意識していたのだと思う。いい仲間に恵まれたということだ。