私、「待機」やめました(2)保育園を作る
家の中でも、苦手な炊事以外の(最近では炊事も)掃除や洗濯、子どもの風呂などは主に昭博さんの担当。特に風呂は、自分も入りながら子どもたちを順番に洗う。「毎日1時間以上入っています」と昭博さん。忙しくなった加奈子さんに代わって学校行事や地域活動に参加し、子どもたちを予防接種や健診に連れて行く。いまはこんなパワフルな父親像が日常となった昭博さんだが、最初からこうだったわけではない。三女が産まれる6年前までは、昭博さんは一般的な「仕事熱心な会社員」で、専業主婦の加奈子さんに育児を一任する父親だったという。
猛烈サラリーマンから一念発起
6年前、製造業の会社で企画・経理・法務を担当する猛烈サラリーマンだった昭博さん。資格取得に向け当時勉強中だった妻の開業には前向きだった。しかし、加奈子さんが専業主婦から個人事業主へと立場が著しく変わる中、昭博さんだけ生活スタイルの変化への順応は遅れていた。当時子どもは小学生と3歳と0歳の3人。下の子ども2人は同じ保育園に入れず、別々に送り迎えが必要だった。毎日1人で子どもの送り迎えをする加奈子さんを見て「大変そうだな、とのんきに思っていました。当時は子どもを連れて歩くことが大変だということさえ知らなかった。今思えば恥ずかしいし、妻にも申し訳ない」と当時を振り返る。 しかし、保育園から発熱した子どものお迎え要請を受けて、昭博さん自身にも変化が現れはじめる。通常、保育園では熱がある子どもは預かることができない。働く親は、保育園のシステムに沿って行動しなくてはならなくなる、という実態を思い知ったのもこのときだった。 勤めていた会社内には、「育児は女性が担うもの」という不文律があった。管理職の昭博さんが、育児のために会社を早退したり、夜の付き合いを断ったりする姿に社内からの目は冷たく、「なぜ家庭のことを妻に任せないのか」「妻の仕事と自分の仕事とどちらが大事だ」と直接指摘をされたこともあったという。そこまで言われても、昭博さんの頭の中では「社内の反応はもっともだ」という意識が強く、プレッシャーを感じながらも「子どもが成長したら解決するだろう」と思って仕事を続けていたという。 しかし、そんな昭博さんの考えを180度転換させるきっかけがあった。念願の長男妊娠だった。4人目の妊娠を社内に告げたとき、「またか」と言う反応だったことが、昭博さんのスイッチを入れた。「『おめでとう』でもなく『よかった』でもなく『またか』と言われたことが自分にとっては衝撃だった。ぼんやりとした疑念が、決心に変わった。」 会社を辞めよう、家庭も仕事も両立できる事業を自分で起こそう。これまでは心から会社のために尽くしてきた昭博さんだったが、会社から心が離れ、起業に向けどんな事業にするのか模索の時間を持つことになった。