<夢への軌跡・23年センバツ>富山・氷見 夏の逆転負け糧に 地元進学選んだ仲間と快進撃 /福井
昨年秋の富山県大会でチームは初戦から準々決勝まで対戦相手に10点差以上をつけて圧勝。決勝の新湊戦では、先制や同点を許すなど接戦となったが、終盤に3点本塁打が出るなど猛攻を見せ、30年ぶりに秋の優勝旗を手にした。「夏の悔しさがあったからこそ、優勝できた」と大沢祥吾主将(2年)は胸を張った。 その悔しさとは、同年7月に富山市民球場であった第104回全国高校野球選手権富山大会の決勝戦でのことだ。57年ぶりの夏の甲子園出場を目指した氷見は、決勝でライバル高岡商と激闘を繰り広げた。九回2死まで11―10でリードし、優勝まであと一球という場面から連打を浴び、逆転を許し、夢がついえた。 同県氷見市内唯一の高校ということもあり、従来から部員のほとんどが同市出身で、少年野球時代から一緒にプレーしてきた仲間だ。同市は伝統的に中学野球が盛んで、特に大沢主将の母校、市立氷見北部中は全国大会の常連。現在のメンバーが中学時代、主戦の青野拓海投手(同)擁する市立西條中が氷見北部中の連覇を阻止するなど、お互い切磋琢磨(せっさたくま)してきた。 「みんなで地元の高校で甲子園に行こう。そして大好きな氷見市民を甲子園に連れて行こう」。そう決めると、あまたの誘いを断り、そろって氷見高を進学先に選んだ。ちょうど2010年夏に同県立砺波工高を甲子園に導いた村井実監督(59)が19年に赴任。同年秋から監督に就任し、本格的な強化に乗り出していた。 投手不足を理由に、もともと捕手だった青野選手が投手に転向すると、長身を武器に球速もぐんぐんアップ。多彩な変化球も身につけ、エースナンバーをつけた2年春には県大会で準決勝まで進出した。満を持して迎えたはずの昨夏の富山大会だった。青野投手も初戦から準決勝までは好投したものの決勝では制球が乱れ三回途中で降板。「気持ちも体力も足りなかった。負けたのは全部自分の責任」と試合後、大粒の涙が止まらなかった。 青野投手は敗戦直後から、猛暑の中、これまで以上に投げ込みやトレーニングを重ね、課題のスタミナ不足の克服に努めた。「投球よりも自信がある」という打撃面では、「チームで勝つために、つなぐことを最大限に意識する」ようにもなった。次こそ気持ちで負けないよう、帽子のつばの裏に「負けん気」と書いて秋の県大会に臨み、頂点に立った。 富山の覇者として臨んだ北信越地区大会の初戦。遊学館(石川)相手に延長十一回まで双方無得点の接戦を展開したが、ナインの気持ちが切れることはなかった。体も心も一段とたくましくなった青野投手は192球を投げきり2―0で完封勝利。夏の努力が結実した瞬間だった。 昨秋の快進撃の裏には甲子園への夢を後輩に託した3年生5人のバックアップがあった。5人は、引退後もほぼ全員がグラウンドに来て練習を手伝う。練習試合では審判やボールボーイを買って出ることもあるという。再編統合後初の甲子園は、メンバー17人だけでなく3年生や女子マネジャー3人ら「オール氷見高野球部」でつかみとった夢舞台だった。 村井監督は「部員のほとんどが、小さい時からの幼なじみなので、学年問わず仲が良い。今度は3年生に甲子園での勝利をプレゼントできるよう頑張ってくれるでしょう」と練習のギアを上げる。【青山郁子】 ◇ ◇ 3月18日に開幕する第95回記念選抜高校野球大会。北陸3県からは21世紀枠で氷見(富山)が、一般選考枠で北陸と敦賀気比(以上、福井)が出場する。夢の舞台に立つ3校のこれまでの軌跡を紹介する。