都心VS田舎「住む場所」の最終結論…森永卓郎が「都心は人の住むところではない」と確信した理由
快適に住めるエリアはどう選ぶといいか。経済ジャーナリストの森永卓郎さんは「物価が上昇する一方の日本で生き抜くためには、生活コストを下げる必要がある。都心に近くて物価の安い『トカイナカ』に住めば、その暮らしはほぼ自動的に手に入れることができる」という――。 【この記事の画像を見る】 ※本稿は、森永卓郎『身辺整理 死ぬまでにやること』(興陽館)の一部を再編集したものです。 ■自分で家を買って地価上昇を証明するため「トカイナカ」へ 私は、28歳の時に、都心から電車を乗り継ぎ90分ほどかかる埼玉県所沢市の西部に2680万円で中古戸建住宅を購入した。 当時の年収は300万円で、住宅ローンの金利が7パーセントの時代だ。長男が生まれたばかりだったが思い切って踏み切ったのには理由がある。 当時、新卒で入った日本専売公社(現・JT)から出向を命じられ経済企画庁に勤めていた私は、「経済モデル」(方程式で作った経済の模型)を作るという仕事もしていた。 そんな中、近い将来、土地や株が大暴騰するというシミュレーション結果が出てきた。 そこで「バブルが来るぞ!」と役所の中で触れ回ったのだが、信用してくれる人は誰一人いなかった。 頭にきた私は「だったら自分で家を買って地価上昇を証明するから」と豪語して実践したのだ。当時、私は川崎市に住んでいたのだが、川崎の地価はすでに相当高くて、私には手が出なかった。 そこで、妻の実家に近いほうがいいだろうという考えから所沢の物件にたどり着いた。 我が家の家計は住宅ローンを差し引くと6万円しか残らないという極貧生活に陥ったが、それでも暮らしていけたのはトカイナカだったからだ。 なにしろ物価が安い。 肌感覚では、都心より物価が3割ほど安く、豊かな自然や動物とのふれあいもタダで楽しめる。
■生涯都心に住み続けるためのコストは大きい このことは拙著『年収300万円時代を生き抜く経済学』(光文社)や『年収200万円でもたのしく暮らせます』(PHPビジネス新書)に詳しいが、給料が上がらない、あるいは年金暮らしなのに物価は上昇する一方の日本で生き抜くためには、暮らしを見直す必要がある。 稼ぎを増やすのではなく、生活コストを下げるのだ。 トカイナカに住めば、その暮らしは、ほぼ自動的に手に入れることができる。 テレビ収録などは早朝からということもあれば、深夜にまで及ぶということも少なくない。 そこで2007年に都心のワンルームマンションを事務所として買い、家に戻れない日は事務所で寝泊まりすることにした。 13年にわたって二拠点生活を続けてきた私は、「都心は人の住むところではない」という結論に達した。 確かに都会は便利かもしれない。 おしゃれな飲食店やエンターテインメントがたくさんある。 しかし、都心が魅力的なのは、お金がある人にとってだけだ。 年金生活に入ったら、とてもではないが、そんなコストは、負担しきれないのだ。 トカイナカで暮らしても仕事はできる。 パソコンがあればオンラインでの会議や打ち合わせが可能なのだし、ラジオ出演や原稿の執筆はいくらでもできる。 私が都会にこだわっていたら、約12万点のコレクションを展示する「B宝館」を開設したいという構想も、実現していなかっただろう。 ■秋葉原の10分の1のコストで自身の「博物館」を開設 私が最初に買った家は予想通りバブル期には3倍の価格になったが、住むための家だったので、バブル期に売却することはできなかった。 ただ、その後、シンクタンクに転職した私の年収は、桁違いに増えた。 コレクションの部屋も作ったため、8LDKという巨大な家になったが、トカイナカなので、都心の狭小住宅の数分の一のコストで済んだ。 しかし、「おもちゃの部屋」もいっぱいになり、倉庫を2カ所に借りることになった。この頃になると何がどれくらいあるのか自分でも把握できなくなっていたが、もっとスペースが必要なことだけは確かだった。 かくなるうえは博物館を開設するしかないという思いが強まっていったのだ。 私のコレクション癖に理解を示していなかった妻は「集めるだけならまだしも、博物館はやりすぎだ」と猛反対だった。 しかし私は博物館構想に向かって貯金すべく、きた仕事は断らないという方針で走り続けた。 当初は秋葉原でと考えていたが、都内の土地が高騰して貯蓄が追いつかず断念した。所沢でもいいと妥協した。ただ結果的にはよかったと思っている。 所沢の中古ビルを丸ごと買い、「B宝館」を開設するのに1億8000万円もかかったのだが、秋葉原だったらその10倍近くかかるだろう。 しかも所沢に作ったおかげで膨大なスペースが確保できた。 B宝館の床面積は200坪、660平米もある。とても都会では確保できない面積なのだ。