吃音で将来を悲観、女子高生だった奥村安莉沙さんに勇気を与えた一冊は…「逃げちゃだめだ」
吃音(きつおん)に対する社会の理解を広げる活動に取り組む奥村安莉沙さん(32)。自身も子どもの頃から吃音に悩み、つらい経験を重ねてきたが、高校生になると少し状況が変わってきたという。(読売中高生新聞編集室 大前勇)
「みんなで声を合わせたら」
「自分が吃音であることを誰も知らない学校に行こうと考え、相模原市の自宅から電車で片道1時間半ほどかかる日大桜丘高校(東京都世田谷区)に進学しました。吃音が治ったわけではないのですが、小学校や中学校のときのように変な反応をされることはなくなりました。周りは私の話し方に違和感を持っていたと思います。それでも、あまり気にせずに、私に合わせてくれる場面が多くなりました。
2年生の時は生徒会の活動に参加しました。人前で話すというよりは、主に裏方的な仕事をしていたのですが、あるとき、登校時に校門で募金を呼びかけないといけないことがありました。ところが、『お願いします』と声を出そうとしても、私だけなかなか言えない。そうしたら、ほかの子たちが『みんなで声を合わせたら言えるかもよ』って提案してくれて、みんなで一斉に呼びかけるスタイルにしてくれました。
部活は、ほとんど会話しなくてもよさそうだなと思って、茶道部に入りました。クジ引きで部長になった時期があって、毎回、活動の最後に『ありがとうございました』と言わなければなりませんでした。だけど、もちろん私は言葉がすぐに出てこない。そんな時も周囲が自然な形でフォローしてくれました」
とはいえ、将来のことを考えると、悩みは膨らむばかりだった。
「高校生にもなると、進路を考える時期ですが、きちんと話せない自分に働ける場所はあるのかと悩み、死にたいと思うこともありました。相変わらず学校のみんなに吃音がバレることへの恐怖心もあって、とにかく必死で隠そうとしていましたね。
そんな私に勇気をくれたのが、2年生の時に図書館でたまたま手に取った『いのちの初夜』という小説です。北条民雄さん(1914~37年)という作家が、ハンセン病患者だった自身の経験をもとに書いたものです。当時は今とは比べものにならないほどハンセン病への差別や偏見が強かった時代。隔離施設に入れられた主人公は絶望した気持ちになり、自殺まで考えますが、最後は病気を受け入れることで生きる力を取り戻すという内容でした。