アルカイダかISか 宗派は? 林立するイスラム過激派を分類
(2)スンニ派とシーア派
イスラムのスンニ派とシーア派は、もともと宗教的にも政治的にも対立を抱えてきました。その中で、スンニ派、シーア派のそれぞれの中心地であるサウジアラビアとイランは過激派組織を支援し、自らの外交政策に用いてきました。 このうち、サウジアラビアはやはりスンニ派のタリバンやアルカイダ、さらにその傘下にある組織に資金援助を行ってきたといわれます。ISが「イラクのアルカイダ」(AQI)と名乗っていた頃には、これにもサウジ政府からの資金が流れていたとみられます。スンニ派組織とのパイプ役とみられたバンダル・ビン・スルタン王子が、ISの建国宣言の約2か月後の2014年8月に統合情報庁長官のポストを解任されたことは、サウジアラビア政府の方針に変化が生まれたものと、多くのウォッチャーはみています。これに対して、シーア派のイランは、レバノンの「ヒズボラ」やイエメンの「フーシ派」などを支援してきました。 両派がそれぞれ支援する過激派組織は、お互いに友好的とはいえないまでも、以前は直接衝突することが稀でした。しかし、最近では本格的に戦火を交えることも少なくありません。シリア内戦は、その大きな転機となりました。 シリアでは、世俗的なバース党を中心としながらも、アサド大統領をはじめとするシーア派が政府の中枢を握る体制が続いてきました。2011年に発生したシリア内戦は、もともとアサド政権の打倒を目指す国内勢力と政府の間の内戦でした。しかし、アサド政権が目障りだったサウジアラビアなどペルシャ湾岸の富裕な産油国の支援を受け、スンニ派の過激派組織が流入するようになりました。その筆頭はアルカイダ系のヌスラ戦線とAQI、後のISでした。 これに対して、アサド政権とシーア派で共通し、これを支援するイランからも、シーア派の武装組織が流入しました。このうち、ヒズボラはレバノン南部でイスラム国家の樹立を目指し、1982年からイスラエルへのテロ攻撃を繰り返してきました。イランやシリアから支援を受けていたヒズボラは、アサド政権を支持してシリア内戦に参加。スンニ派勢力と衝突を繰り返すようになったのです。 イスラム過激派同士の宗派間衝突は、イエメンでも生まれています。2015年1月、フーシ派はスンニ派のアブドラボ・マンスール・ハディ大統領を首都から追い落とし、政権樹立を宣言しました。フーシ派はイランから支援を受けています。これに対して、サウジアラビアなどペルシャ湾岸のスンニ派諸国はフーシ派を空爆。その一方で、フーシ派が勢力を広げるなか、ハディ政権へのテロ攻撃を行っていたAQAPも、これとの衝突を繰り返すようになりました。イエメンも宗派対立の舞台になりつつあります。