五輪サッカー代表選考巡るドラマ、過去にも…大迫勇也ら「功労者」落選・初戦直前にメンバー交代も
パリオリンピックに出場するサッカー男子の代表選手18人が3日、発表された。人数が予選から、ぐっと絞られることなどから、これまでも主力選手が落選したり、海外組の増加を背景に招集が見送られたりするケースが少なくない。代表発表後に所属クラブから拒否されるケースまで起きるなど、五輪代表選考を巡っては数々の「ドラマ」が起きた。(デジタル編集部、選手の所属は当時)
主力選手、大量落選も
ワールドカップ(W杯)と違い原則23歳以下(U―23)の選手で構成するが、3人まで24歳以上のオーバーエージ(OA)枠が利用可能。2枠が使用された2004年アテネ大会ではGK曽ヶ端準(鹿島)に加え、MF陣に小野伸二(フェイエノールト)が入った。その陰で、アジア最終予選で今野泰幸(F東京)とともに中盤を支えたMF鈴木啓太(浦和)が落選。クラブの同僚だったDF田中マルクス闘莉王は、自身の代表入りを喜ぶはずの記者会見で鈴木の背番号13のユニホームを身につけ、「彼の分まで」と誓った。
12年ロンドン大会、FW4人の中にアジア予選の主力だった大迫勇也(鹿島)の名前はなかった。鹿島の監督だったジョルジーニョ氏は「A代表に入る能力を持っているし、しっかり受け止め、先に進んでほしい」と落選直後の大迫を気遣った。大会では大津祐樹(ボルシアMG)、永井謙佑(名古屋)の両FWがそれぞれ3点、2点を挙げて4位に貢献した。
08年の北京大会では出場決定から代表発表まで8か月という期間があり、その間に成長を見せた森重真人(大分)、吉田麻也(名古屋)、フル代表にも招集された香川真司(C大阪)らが代表に名を連ねた。最終的にOA枠の使用は見送られたが、アジア最終予選で勝負どころとなった最後の2試合に先発した計12選手のうち伊野波雅彦(F東京→鹿島)、青山直晃(清水)、水野晃樹(千葉→セルティック)ら5選手が落選。2大会連続出場を目指したFW平山相太(F東京)も選ばれなかった。