五輪サッカー代表選考巡るドラマ、過去にも…大迫勇也ら「功労者」落選・初戦直前にメンバー交代も
所属クラブの意向も影響
平山同様、年齢的に2大会連続のオリンピック出場が可能だったのが香川だ。12年ロンドン大会では主役となるはずだったが、選出されなかった。同年6月に前段となる予備登録選手35人が発表されたが、そもそもその時点で名前なし。
香川はザッケローニ氏率いるフル代表で背番号10を背負い、同月にはW杯ブラジル大会アジア最終予選を戦っていた。休養と、ドルトムント(ドイツ)からマンチェスター・ユナイテッド(イングランド)への移籍という事情が優先された。
大会直前に入れ替えが起きたケースもある。
16年のリオデジャネイロ大会で代表入りが発表されていたFW久保裕也は、日本チームが7月にブラジル入りするなか合流が遅れていたが、所属するスイス1部リーグのヤングボーイズが同月下旬に招集拒否を公式サイトで発表。主力FWが負傷したためで、同クラブ幹部は「久保には大変申し訳ないが、チームの利益を守るため、やむを得ず決定した」とコメントした。
アジア最終予選で全6試合に出場し、チーム最多の3得点を挙げた主力が突然、出場できない事態に、当時の霜田正浩・日本サッカー協会技術委員(代表担当)がスイスに渡って交渉。一時はチーム側が「条件次第で協力する」という姿勢を見せた。ただ初戦2日前の2日、日本協会は最終的に招集を断念し、バックアップメンバーだったFW鈴木武蔵(新潟)の代表入りを発表した。鈴木はナイジェリア戦に途中出場し、後半ロスタイムに1点差に迫る4点目を決めたが、チームは5失点が響き黒星発進。結局、1勝1分け1敗で1次リーグ敗退となった。
久保の2大会連続出場はならず
オリンピックは国際サッカー連盟(FIFA)が定める代表活動期間から外れており、所属クラブの同意がなければ出場できない。このことは、今回のパリ大会の選考にも影響を与えた。
23歳の久保建英(レアル・ソシエダード)は、前回の東京大会に出場し3得点。パリ大会への期待も大きかったが、チームとともに来日中の5月28日、千葉県内で報道陣の取材に応じ、パリ大会出場を見送る方向になったことについて言及。「みんなで話して決まった結論。クラブが(出場が)難しいよ、ということに僕も納得している」と語った。アルグアシル監督は「不出場はクラブの判断」と明かした。
年代別エリートによる激しい競争であると同時に、所属クラブの意向やOA枠の有無などもからむ男子サッカーのオリンピック代表選考。選ばれた18人が晴れ舞台で披露するドラマにも期待したい。