覚醒した青学大エース・鶴川正也の最初で最後の箱根駅伝 学生スポーツの醍醐味〝4年生マジック〟
読者の皆さま、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。 さて、すでに新年が始まり、9日が過ぎた。記者にとって、この1週間は1年で一番といっていいほど大忙しの毎日だった。1月2日から箱根駅伝、5日からは春高バレーと、学生スポーツの取材であわただしい年明けを過ごしている。 【写真】青学大3区の鶴川正也と青学大4区の太田蒼生 青学大の大会連覇で幕を閉じた箱根駅伝。結果はもちろんのこと、とにかく楽しそうに走る選手の顔が印象に残っている。記者が注目していたのは、3区で箱根駅伝初出走を果たした鶴川正也(4年)。4年目にして、やっとつかんだ大舞台への挑戦権。戸塚中継所で、2区の黒田朝日(2年)を待つ顔は晴れやかだった。 鶴川は、熊本・九州学院高3年時、全国高校駅伝で1区区間賞を獲得。並みいる実力者に勝っての結果で、〝世代ナンバーワン〟ランナーだった。だが、青学大に入学後は、度重なるけがで箱根は走れず。選手になるという最初の難関をずっと突破できずにいた。自分が走れなかった箱根は、「自分の任された仕事はしっかりやり遂げて、でも自分が走っていないなら負け。本当に性格悪いですけど、それぐらいな気持ちが分けれることもありました」と複雑な心境を、素直に話してくれた。 そんな思いを抱えていた鶴川。4年になってからは、けがもなく、順調に練習を積み、昨年11月のMARCH対抗戦では、1万メートルの青学大新記録の27分43秒33をマーク。同年はほとんど日本人に負けたレースはなく、まさに、覚醒という言葉がぴったりな活躍ぶりだった。 苦しい時期を乗り越えてきたことを取材で聞いたとき、鶴川が語ったのは、「陸上が趣味になったんです」という一言だった。紆余(うよ)曲折あった4年間で、ときには陸上から逃げ出したくなった時期もあったそう。練習や大学の授業以外は、現実逃避をするように、友人と遊んだり、SNSやゲームに明け暮れたり。自分でも、苦笑いをするような生活だった。 4年生となり、終わりが一歩ずつ近づいてくる中で、一変。「今1番やりたいことが陸上になったんです。今が楽しい」。意識して一番にしたのではなく、勝手に一番になっていった。気持ちが変われば行動が変わり、自主練習を開始。ケアもしっかりするようになり、けがも自然としなくなった。大学スポーツの〝4年生マジック〟が鶴川を強くしたのだ。