かつて目の前で魚を捨てられた漁師、処理水放出後の応援ムードに目頭熱く… 専門家は中国の存在影響と指摘
30年以上続く不安…風評に打ち勝つためにできること
石橋さんら漁業者は処理水への不安がなくなったわけではない。処理水の海洋放出は廃炉が完了するまで、30年以上続くからだ。そうしたハンデキャップはあるが、石橋さんは漁師としてできることはまだ多くあるという。風評に打ち勝てるほど、「常磐もの」の魅力を高めようと取り組んでいる。 「震災をきっかけに、出荷しない自分が獲った魚を食べることが多くなった。この魚がこんなに美味しいのかという発見もあった」。 相馬沖では海水温の上昇でトラフグの水揚げ量がこの3年で約30倍になった。石橋さんは「福島に福がくる」という意味合いで“福とら”と名づけ、ブランド化と販路拡大を目指している。 「福島の漁業は自分たちで担うんだという思い」。 このほか、福島の海では震災後、40~50センチ未満のヒラメが捕れても海に戻すという国内で最も厳しい資源管理を行い、次世代に海の恵みを受け継ごうという取り組みも進められている。
あの日の“絶望”
風評被害、処理水の海洋放出…石橋さんたちが逆境に立ち向かい続けようとする理由がある。 「遠くから黒い壁が…」 2011年3月11日、大きな横揺れに襲われた石橋さんは津波が来ると察知し、大急ぎで港に向かった。漁師にとって「命の次に大事な船」を守るために、沖合へ船を走らせたが、何度も押し寄せてくる黒い波に死の恐怖を感じたという。沖合で一夜を明かし、港に戻ると家は流され、漁港の事務所は骨組みだけが残り、一艘の漁船が突き刺さっていた。その後、福島第一原発で水素爆発などが相次ぎ、汚染水が海に流出した。まさに絶望した瞬間だったという。 「本当にこの福島で漁業ができるのかという思いだった」。 福島県沖での漁は全面的な自粛に追い込まれ、1年もの間、魚を捕って売るという漁師として当たり前のことすらできなかった過去がある。このどん底の状況から一歩一歩這い上がって来たのだ。 「前を向くしかない。福島の漁業を途絶えさせないよう、後輩たちにもつないでいける福島の漁業でありたいと思っている。検査体制はしっかりしているし、自分たちが安心安全な魚を捕って、消費者に届けることしかできないのは処理水放出前も放出後も同じ。」 去年の福島県沖の沿岸漁業での水揚げ量は前年より約1000トン多い約6530トンだった。処理水放出の影響を跳ね返し、震災前の25%にまで回復させ、震災後最多となった。「常磐もの」の代表格であるヒラメの水揚げ量はなんと1969年に統計が始まって以来、過去最多の846トンに上った。福島の漁師は前に進んでいる。