芥川賞の妻と太宰治賞の夫、小説家夫婦の新婚生活は?婚約中に発した吉村昭の「おれは無一文同然だ」発言が事実通りで…
『星への旅』で太宰治賞を、『戦艦武蔵』や『関東大震災』で菊池寛賞を受賞した吉村昭と、『玩具』で芥川賞を受賞した津村節子。小説家夫婦である2人は、どのようにして結ばれて人生を共に歩んだのか、そして吉村を見送った後の津村の思いとは。今回は、吉村からの熱烈な求婚の末に結ばれた2人の新婚生活の様子を、長男の吉村司さんの言葉と一緒にご紹介します。 【写真】夫婦で笑い合う2人 * * * * * * * ◆結婚後、吉村が無一文だと判明 結婚してからわかったことは他にもあった。 吉村が結婚のときに持って来たのは、弁当箱と小さなお釜とヤカンだけだった。吉村は前述の自伝的小説で、こう描写する。 〈「おれは無一文同然だ」 と、圭一は婚約中に春子に告げた。そして、春子も納得したようにみえたが、結婚後春子の告白によると、それが事実通りであることに唖然としたという。〉(『一家の主』ちくま文庫) 言葉の綾ではなく、実際無一文だったのだ。新婚のアパートに持ち込んだのは、〈お釜、薬罐、大型の弁当箱各1個と3000冊の書籍〉だと、吉村は随筆にも書いている。その書籍を売って引越し費用にあてていた。 正真正銘の無一文だとわかり、津村は驚いたと同時に不安にかられただろう。さらに無一文の上に、経済観念もゼロに等しいと指摘している。 〈結婚当初、池袋に住んでいたとき財布の中に110円しかないというのに、50円の地下劇場でやっているチャップリンのモダン・タイムスがまた見たいといい出し、帰えりに残金10円也で油揚を2枚買って夕食のおかずに焼いて食べた。空っぽの財布を振ってみせ、明日からどうするの、といったら、お前も一しょについて来たくせに文句をいうな、とすましていた。〉(「週刊サンケイ」昭和34年11月22日号) こんなはずではなかったということがこれだけあれば、「結婚サギ」と書かれても仕方ないのかもしれない。
◆大変な男と結婚してしまった 吉村は「ペテン」と題した随筆にこう記す。 〈結婚したらばこちらのものだし、その上で徹底的に教育してやればよいのだ、と私は彼女の言葉など眼中になかった。〉(『味を追う旅』河出文庫) 吉村は世話女房との結婚を切望していた。そのために気難しさも、ものぐさであることもすべて隠し通した。結婚してしまえば、と考えていた。 一方の津村にしてみれば、大変な男と結婚してしまったという思いだろう。 どこかですり替わったのではないか、と津村は『さい果て』に書いているが、すり替わったのは風貌だけではない。流浪の旅の果てに、ここで死んでしまおうかと言うに至るまでの心の動きが、津村の自伝的小説にある。 〈章子は放浪の旅の間に、この男に添う限り、決して平穏な家庭生活は望めぬだろうということを、骨身に浸(し)みて思ったのだった。それと同時に、そんな旅の間中、常に充ち足りた嬉しげな様子をしていた桂策と、ただ一日も早く帰京してアパートに落着きたいと思い暮していた自分との相違を、嫌と言うほど感じさせられた旅でもあった。〉(『重い歳月』文春文庫) 求婚が激しかっただけに裏切られたような気がしたという記述もある。