「主人の無自覚な行動により…」なぜ夫の不倫を妻が謝罪するのか? 韓国からはフシギに見える、日本の「うち」文化
日本人が内向的に見える理由
「ウリ」の反対の概念である「ナム」も、日本では、それぞれ微妙にニュアンスの異なる「そと」と「よそ」という2つの概念に分けられる。「うち」に属していない部外者のうち「そと」は、社会的に良い印象を与える必要のある相手を指す。ビジネスパートナーや仕事上の顧客、子どもの通う学校の先生など、社会的な利害関係で結ばれている人たちだ。一方、「よそ」は、社会的交流が一切なく、今後もその可能性のない相手を指す。道ですれ違った人や見知らぬ人などが該当し、外国人もこの範疇に入るとみなされる。 あえて「そと」と「よそ」を区別するのは、社会的態度や期待感が異なるからだ。「そと」に対しては礼儀正しく振る舞い、相手も丁重に接してくれることを期待する。互いに信頼に足る社会人であることを示す必要があるからだ。一方、あえてそうする必要のない「よそ」に対しては無礼な態度をとることもある。ビジネスの関係では過剰なほど親切な日本人が、通りや電車の中で出会った人には無関心だったり、時には冷たい態度をとったりすることもある。意図的に相手を選んで行動しているというよりは、「そと」と「よそ」に対する態度の違いが無意識に現れているのだ。
韓国の文化では「ウリ」と「ナム」の境界はさまざまに変化する。以前は「ナム」だった人が「ウリ」として結束することもあるので、最初から人間関係に線を引いて、のちのち不利になるような状況をわざわざ作る必要がないのだ。初対面の人にも気軽に年齢や出身地を尋ねて自分との共通点がないかを探り、少し親しくなると「ヒョン〔兄さんの意〕、トンセン〔弟の意〕と呼び合って仲良くしよう」「オンニ〔姉さんの意〕と呼んでもいい?」などと距離を縮めようとする。韓国の文化ではしばしば見られるそうした社交的行動は、「ウリ」の範囲を積極的に広げようとする意図とも読める。 それに比べ、日本の「うち」「そと」「よそ」を分かつ壁は高く、個人的な社交術や話術で乗り越えるのは容易ではない。結婚や入学、就職、開業といった公的なきっかけなしに「うち」の共同体に加わるのは難しい場合が多く、それゆえ、私的な人間関係を広げることにはやや消極的だ。外国人の目に、日本人が内向的、シャイだと映るのはそのためだろう。見知らぬ人との壁を壊す方法よりも、決められた人間関係の中で適切に行動する方法を模索してきた文化的習慣が反映されているのだ。
【関連記事】
- 【続きを読む】有名寿司屋の予約がとれるのは8年後!「なんと席が3席しかない」韓国人が日本で暮らして驚いた、日本人の“のんびりした完璧主義”
- 「“女性版安倍”の高市氏じゃなくてよかった…」石破茂新総理(67)の誕生に韓国は右も左も歓迎ムード…始まりは「ノーアベ」だった?
- 『虎に翼』“ヒャンちゃん”ハ・ヨンス(33)が語る、日本と韓国“朝ドラの違い”とは?
- 「日本や韓国でアニメが人気になっているのは…」韓流の原点『シュリ』の監督が語る、日本と韓国の“共通点”と“まったく違うところ”とは
- 「日本、アメリカ、韓国との交流は固く禁止されている」“敵国の選手と自撮り”した北朝鮮の選手は大丈夫なのか「見せしめ的な処罰は…」