第94回選抜高校野球 有田工、歓喜の初切符 「まず一勝」活躍誓う 陶器の町に吉報 /佐賀
<センバツ甲子園> 28日に開かれた第94回選抜高校野球大会(毎日新聞社、日本高校野球連盟主催)の選考委員会で、有田工(有田町桑古場)が選抜出場を決めた。県勢の出場は2018年に21世紀枠で出場した伊万里(伊万里市)以来4年ぶり。有田工は13年夏の甲子園に出場したが春は初めてだ。創部122年で悲願の出場を果たす選手たちは歓喜し、「一勝すれば流れが出来てくる。一勝一勝積み重ねて、できるだけ上に行きたい」と夢舞台での活躍を誓った。大会は3月4日に組み合わせ抽選会があり、同18日に阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)で開幕する。【井土映美、山口響】 午後3時45分、有田工の校長室で待機していた東福昌勝(とうふくまさかつ)校長に、選抜出場決定が電話で知らされた。東福校長は緊張した面持ちで受話器を取り、「ありがたくお受けします」と答え、校長室隣の会議室で待つ選手の元へ向かった。 保護者や後援会関係者らが見守る中、吉報を待った選手たちに、東福校長は「この日を待ち望んでいた。君たちは夢をつかんだ。今日からは甲子園でプレーし、活躍している自分をイメージして、さらに練習に励んでもらいたい。本当におめでとう」と声をかけた。選手たちは肩を組んだり声を上げて喜んだりするのを控え、お辞儀を返した。選手代表の上原風雅主将(2年)が「ありがとうございます」と述べた。出場を決めた直後には、上原主将がバッテリーを組み九州4強の立役者でもある塚本侑弥投手(同)に「ありがとう」と手を差し向け、静かに握手を交わす場面もあった。 梅崎信司監督(42)は「まずはありがとうですね。新チームになった時、ここまで勝ち上がってくれるとは思ってもいなかった。子どもたちの可能性、伸びしろは量れない」。 梅崎監督は前任校の塩田工(20年閉校)では14年夏の県予選で42年ぶりの8強へと導いた。18年に有田工の野球部監督に就任し、選手たちの力を引き出してきた。大会に向けて「練習中から活気ある練習ができている。出るだけで満足するところではないので、戦えるチームを作りたい」と気を引き締める。 上原主将は「小柄なチームだが、つないでつないでという自分たちの野球で粘り、一勝でも多く勝って地元に元気を与えたい」と意気込む。 陶器の町で有名な有田町に位置する有田工。町で毎年ゴールデンウイークに開かれる有田陶器市は100万人以上が来場するイベントだが、20年からは新型コロナウイルスの影響で2年連続で中止に。梅崎監督は「暗い雰囲気が続いたが、町の人たちに明るい話題と喜んでもらえて良かった」と笑顔。同町や武雄市、隣県・長崎県の波佐見町などから通う選手らは地元の思いも背負って夢舞台に臨む。 ◇センバツ、県勢21年間勝利なし 有田工は創部122年目にして初めてセンバツへの出場切符をつかんだ。県勢のセンバツ出場は2018年に21世紀枠で選ばれた伊万里以来の4年ぶり。21世紀枠を除く出場は07年の小城以来で15年ぶりとなる。 21世紀枠は他校の模範となり困難な環境を克服したり県予選で上位だったりした学校が選ばれる。一方で有田工が選出された一般選考は、秋の九州地区大会での戦いぶりなどを多角的に検討して決まるので、県勢の一般選考でのセンバツ出場は長く遠ざかっていた。 夏の甲子園では1994年に佐賀商、07年に佐賀北が全国制覇したものの、春のセンバツでは55年の佐賀商、89年の龍谷の8強が最高成績。センバツでの勝利も00年の佐賀商以来、21年間果たされていない。【井土映美】 ……………………………………………………………………………………………………… ◇有田工プロフィル 1900年に佐賀県工業学校有田分校として創立した、有田町桑古場にある県立工業高校。前身は1881年に国内初の陶磁器産業の技術者養成機関として設立された「勉脩(べんしゅう)学舎」。窯業などを学ぶセラミック科の他、デザイン科、電気科、機械科の4学科があり、多くの技術者を輩出してきた。1900年創部の野球部も122年の歴史があり、夏の甲子園に初出場した2013年は2回戦に進んだ。センバツ出場は初めて。部活動は部員31人の野球部の他、バスケットボール部が15年に全国高校総合体育大会(インターハイ)に初出場した。同校の主なOBは東京五輪・パラリンピックの聖火トーチをデザインした吉岡徳仁さんら。