「僕が見ていた世界は地獄のようでした」韓国のBTSが世界的スターになれた秘話 逆境バネに成長 〝兵役の壁〟乗り越える戦略も
世界的な人気を誇る韓国の音楽グループ「BTS」は今年、デビュー10周年。弱小の芸能事務所に所属し、SNSでの中傷にも苦しんだグループが、どうやって逆境を乗り越え、ここまでの成功を収めることができたのか。事務所関係者やデビュー前から関わったプロデューサー、オフィシャルブックの監訳者らに取材すると、綿密な戦略が見えてきた。(共同通信=加藤駿) ※この記事は、筆者が音声でも解説しています。各種アプリで、共同通信Podcast【きくリポ】で検索してお聴きください。 ▽見た瞬間「ビビビッときた」 BTSの日本進出に役割を果たした、音楽プロデューサーの斎藤英介さん。初めてメンバーの7人に出会ったのは、彼らがデビューする前だった。 斎藤さんはレコード会社でサザンオールスターズらの宣伝を担当。1990年代には日本の芸能事務所アミューズで金城武さんらの売り出しを担った。2012年頃、仕事で訪れた韓国で1枚の宣伝写真がたまたま目に入った。「ブレザー姿の男子4人で、他のK―POPグループにない〝何か〟が、ちょっと気になった」
数日後、写真の彼らが所属するビッグヒットエンターテインメント(現HYBE)の事務所を訪れ、出会った音楽プロデューサーのバン・シヒョクさんにこう誘われた。 「斎藤、うちの防弾少年団を見に来たんじゃないの?ほとんど完成した曲があるから見てよ」 聞けば「防弾少年団」はデビューに向けた準備中。近所の練習スタジオで彼らに会い、7人組グループと知った。最初の印象で「ビビビッときた」という。 「パフォーマンスを2曲見せてもらったけど、もう完璧でした。その場で『契約しよう』と言ったら、バンも驚いていましたね」 音楽的にはヒップホップを柱にし、他のアイドルたちとの明確な違いを出した。音楽作りにも予算をかけ、ロンドンに音源を出し、最後はロサンゼルスでミックスをして「世界水準」に近づけた。斎藤さんが圧倒されたのは、彼らのダンスだった。 「ただ動きがそろっているだけでなく、セクシーで曲のノリが表現できている。ラップ担当が3人いて、ダンスもルックスもピカイチ。そんなグループはそんなにない。メンバーの努力もすごかった。みんな寮生活で、仲がとても良いんです」