「僕が見ていた世界は地獄のようでした」韓国のBTSが世界的スターになれた秘話 逆境バネに成長 〝兵役の壁〟乗り越える戦略も
▽母は韓流、姉は東方神起、妹はBTS 斎藤さんはBTSを日本で売り出す前に、韓国での活動優先を徹底させたと振り返る。「まず韓国で話題になってから、日本に持ってくる。若者の日韓の距離感は近くなっていましたから。ソウルから彼らの情報が伝わってくる方が、『本物感』があって良いと思いました」 日本では、メインターゲットを女子中学生ら10代前半に定めた。理由は、彼女たちの家庭環境にある。当時の中学生は、母親が韓流ドラマのファン、姉はBTSに先行するK―POPグループ(東方神起など)が好き、という家族が普通に存在していた。そこで中学生たちにはBTS(防弾少年団)を好きになってもらおうと考えたという。 「力を入れたのがライブです。当時、韓国で有料の単独公演を開けるのは一握りのグループだけ。多くは、テレビの公開収録を兼ねたイベントに合同出演して2、3曲を披露する。1曲1曲のパフォーマンスがすごいグループはいるが、それは『ショー』でしかない。ライブは自分たちだけで60分や90分やる。中だるみせず、場を持たせないといけない」
全体的な構成をどうするか、疲れるタイミングで何をしゃべればいいのか…。「チームワークも、ライブの現場でしか学べない。彼らもその点はすごく理解してくれた」 ▽北米市場へと続く「想定外のアイデア」 BTSはライブ会場にもこだわった。すぐに「大きな箱」には出ず、ショーケース(お披露目)も数百人規模に絞った。最初のツアーも、小さい会場を回るところから始めたのは、明確な狙いがあったからだ。 「汗が飛び散るライブ感を出したかったのと、ストリートから出て来てファンと一緒に一歩一歩成長していく、そんな物語を描きたかった」 テレビ出演も日本デビューから1年後まで待った。「世間の話題になり始めた段階で出演すると、2倍くらいの効果があるんです」 斎藤さんが担当したのは2017年まで。「正直に言うと、僕も日本、アジアでナンバーワンにはなれるけど、欧米の壁は越えられるかな、と思っていた」 プロデューサーのバンさんは当初から「世界」を描いていたという。「日本での成功はうれしいが、もっと大きな成功を収めたい」。デビュー後2年半くらいのツアーで斎藤さんは「アジアに加えて南米でもやりたい」と聞かされていた。