【光る君へ】まひろにフラれ、傷心出家 「情けなさすぎる道長」にネット苦笑… 史実でも道長は「泣き虫」だった!?
NHK大河ドラマ『光る君へ』11月24日放送の第45話では、まひろ/紫式部(吉高由里子)が旅立つ決意を固める。道長(柄本佑)は「行かないでくれ」と懇願するが、まひろは賢子の「出生の秘密」を明かし、「これで終わりでございます」と別れを告げる。晴れやかなまひろと対照的に、道長は体調を崩し、傷心のまま出家。情けない姿にネットでは同情と笑いの声があがったが、史実の道長はどんな人物だったのだろうか? ここでは、彼の人物像に改めて迫る。 ■じつは「甘えん坊」で「泣き虫」だった道長 道長の性格のうち、彼を最も特徴づけるのが、実は甘えん坊で、感情をすぐに表に出すという性格だったと筆者は睨んでいる。早い話が、道長は「泣き虫」だったのだ。彰子の立后時にも感激のあまり涙し、四女・威子の立后後の後一条天皇の土御門邸への行幸の際にも泣いた。法成寺が完成した時にも、天皇を前に感激のあまり涕泣(ていきゅう)したという。 歴史を振り返ってみても、意外と「泣き虫」は多かった。かの源義経や坂本龍馬なども泣き虫だったという。源義経は、兄と初めて会った時ばかりか、屋島の戦いで忠臣が身代わりとなって討ち死した際にもさめざめと泣いた。 坂本龍馬も、幼い頃は泣き虫で気弱。よくいじめられていたという。大人になってからも、土佐藩士・岡田以蔵が亡くなった際も大泣きしたとか。その以蔵も「日本一の泣きみそ」とまで言われたというから、泣き虫同士だったことになりそうだ。 それはともあれ、実のところ、この泣き虫というのは、必ずしも悪いこととはではなさそうだ。むしろ、人を惹きつけるという点で、大きなメリットがあると考えられる。 道長についても、周りから「何とかしてあげなければ」と、手を差し伸べたくなるような愛嬌こそが、彼の持ち味だったのではないか。それこそが、彼が大成した秘訣だったと思えてならないのだ。 ■姉・詮子にかわいがられたからこそ、出世できた あらためてもう一度、道長の生涯について振り返っていただきたい。彼がなぜ大成することができたのかについてである。 まず五男でありながらも、次々と兄たちが早世等で姿を消していったこと、これは、道長にとっての、運の良さあってのことだったことは言うまでもない。 しかし、問題は、ここからである。道兼が亡くなった後、誰に政を委ねるか一条天皇が頭を悩ました際、道長の姉で、天皇の母でもある詮子の強硬な推挙によって、道長が内覧の地位を獲得した意義は計り知れなく大きい。ここでライバルともいうべき甥の伊周にその地位を奪われていたら、道長の出世の道はこの時点で閉ざされていたはずである。 甘えん坊で人懐っこい弟・道長が姉に愛おしく思われていたからこそ、手を差し伸べてくれたのである。言い換えれば、道長が「泣き虫」だったからこそ、多くの人たちが彼の周りに集い、彼を支えようとした。これが、彼の出世の原動力だったと言えるのではないだろうか。 つまり、彼は自らの力量でのし上がった訳ではなく、みんなに押し上げられて位人臣を極めることができたと言い換えることができそうだ。となれば、「泣き虫」も悪くない。彼こそ、愛すべき「泣き虫」オヤジだったと、声を張り上げたくなってしまうのである。
藤井勝彦