山手線「駅名」ストーリー 目黒(JY22)と目白(JY14):江戸を護るお不動さんにちなむ不思議なつながり
「目」の語源はそもそも「馬」だった?
「駅名」は明治に付けられたものだが、そもそも目黒・目白の「地名」は何に由来するのだろう。例えば、一般に目黒の「地名」も目黒不動尊に由来するとの俗説が流布しているが、さまざまな文献をひも解く限り、どうも怪しい。『東京の地名由来辞典』(東京堂出版)をもとに見ていきたい。 文化・文政期(1804~1830年)成立の地誌『新編武蔵風土記稿』は、目黒の「村名の起こりは詳(つまびら)かならず」=「はっきりしない」と記したうえで、以下の諸説を挙げた。 〈目黒不動尊の称号を村名に使用〉 〈同地にいた馬の目の色、毛の色が黒かった〉 〈かつては「免畔」(めぐろ)だった〉 不動尊に由来するのは一説に過ぎないとの見解を、江戸後期にすでに強調している。 ここで使われている「免畔」の「畔」は「あぜ」のこと。つまり田んぼのあぜ道と考えられ、実際にほかの文献にも「馬畔」と書いて「めぐろ」と読む例がある。 「馬」と「畔」は、農耕馬を使って田を耕す田園地帯を思い起こさせる。そもそも龍泉寺に残る『目黒不動縁起』でも、もとは「妻驪」(めぐろ)だったとしている。「妻」の語源は不明だが、「驪」は黒い馬のことだ。
目白も諸説ある。 〈この地で白い馬が誕生し「馬白( めじろ)」と呼んだ / 随筆『南向茶話』〉 〈家光が鷹狩りの際に「目黒」に対して「目白」と呼ぶよう命じた / 『江戸図説』〉 〈目白不動尊に由来 / 『江戸名所記』〉 …やはり、ここにも馬がいる。 どうも地名は、「馬」に関連している可能性がある。 馬との関連性が、より強いと考えられるのは目黒だ。昔、関東には馬の牧場が多くあり、目黒周辺にも駒場、駒沢、上馬、下馬などの馬に関係する地名が多く残っている。「馬」が「目」に転訛して「目黒不動尊」の名が誕生し、少し北にある寺院・新長谷寺を四神相応のひとつにしたことで、「黒」が「白」に変わり、「目白不動尊」となった─こう考えるのが自然に思える。 なお、出典は確認できなかったが、目白には鳥の「メジロ」を語源とする説もある。群棲の鳥で、並んで木にとまる姿をメジロ押しという。それを不動尊の参拝客が押し合いへし合いしている様子と重ねて、地名が「目白」となったというのだが、珍説とみていいだろう。