都内唯一のチベット料理店!来日20年、元僧侶で元コンビニ店員の店主が語る故郷の味と文化
「渡航の準備をしたけど、なかなかビザが下りなかった。そういう書類の関係もあって、2003年に一度日本に行くことにしたんだ。広島にもデプン・ゴマン学堂日本別院があるからね。アメリカはダメなのに、日本はなぜか簡単に来れちゃった。 日本に来てからもアメリカのビザを申請したけど、やっぱりダメで。結局、インドに帰ってから、また日本に戻ってきた」。 インドに一時帰国した際、ロサンさんは袈裟を脱いだ。物心つく前に僧侶になることが多いチベットの人は、何かのきっかけで還俗するケースも珍しくないのだという。 再び日本に戻ったのち、仏教美術を学んでいた奈津子さんと出会って2009年に結婚した。
日本に来たのも、日本人的な性格も“カルマ”
ロサンさんは、お店を出す前に日本でどんな生活を送っていたのだろう? 「いちばん長く働いたのは、新横浜のコンビニ。日本語学校に行ってないから読み書きも難しかったけど、あんちょこを作ったり、置いてある位置で商品名を覚えたりしたね。 だんだんとレジの精算処理や発注まで任せてもらうようになった。チベット人はのんびりした気質の人が多いけど、私はサボるのが嫌だし、日本の仕事も苦ではなかった」。 ロサンさんは、真面目で勤勉な性格の持ち主だ。日本にすんなり来れたことや、自身の気質なども含め、日本に来たことは“カルマ”すなわち、“ご縁”だったとチベットならではの考えを教えてくれた。
「チベットには『すべてはカルマによってきまり、個人ではどうしようもない』というようなことわざがある。当時、日本に行きたい、住みたいとは思ってなかったけど、“そっちに行きなさい”と、そういう縁だったのかなと思ってる」。 日本ではコンビニで働きながら、国際交流イベントでチベット料理の出店をしたり、在日チベットコミュニティのリーダーを務めたり、チベット文化を広める活動をしていた。そうするうちに、場所の必要性を感じるようになったという。
「イベントでお客さんと話すと、チベットのことが知られていないと感じたし、コミュニティの集まりでも場所を借りるのが大変だった。チベットのことを紹介したり、みんなが集まれるスペースが必要だと思ってレストランを出そうと考えるようになったんだ」。 経営のケの字も知らなかったとういうロサンさん。当時、奥さんは反対していたそうだが、それを押し切って開店に踏み切った。2015年6月、都内で唯一のチベットレストランがオープンした。