「娘なのになぜできないの?」50代前半では8人に1人が当事者「ビジネスケアラー」の過酷すぎる選択
「母のこの言葉を受けて、ケアマネージャーさんが『本当にお困りのことは何ですか、それを言っていただければ』と聞いてくださったのですが、『今私がしてほしいのは、急激に痩せて着られなくなったパンツ類のボタンの付け替えです。それ、お願いできるの?』と。 皆さん黙り込んでしまうし、会議の進行を隣の部屋で聞いていた私はもう凍り付きました(笑)。しばらくしてヘルパーさんが、『質は保証できませんが、ボタン付けくらいなら……』と言いかけたのですが、母は『困っていることを尋ねるからお伝えしただけ。本当に必要なことはやってもらえないサービスに意味あるの?』と撥ね付けてしまいました。 母は相手が誰だろうと、思ったことをはっきり口にする人。以前、医師の機嫌を損ねたこともあったため、これから皆さんにご迷惑をかけるのではと怖くなりました」 ◆母親のつらさに寄り添えず、優しく接することができなかった後悔 母親が介護サービスに求めたのは、「病気でできなくなった自分の代わりに家事を丁寧にやってくれること」。また、「一人暮らしの高齢者の家に出入りするのだから、ヘルパーは一人に固定して、信頼関係を築いていくべき」と言って譲らなかった。 「もともと国のやることに批判の多い人でしたから(笑)、自分の望み通りにいかないこともすぐにわかって、それなら家政婦を自費で雇えばいい、と。実際、ヘルパー経験もある家政婦さんに訪問回数を増やしてもらうよう交渉したり、友人や親戚にもバイト代を出すから手伝ってほしいと声をかけたりもしたようです。 当初、病み上がりだった私への負担を軽くするために長女に度重なる帰省を求めるなど、母なりに代わりを探したのですが、思うようには見つからなかった。もう私が介護をするしかないという結論に達しました」 仕事は辞めずに介護との両立を図りたいと思って介護保険サービスの利用を考えた西崎さんだったが、この会議後、ケアマネージャーに利用を断念することを伝え、離職を決めた。 それから母親が亡くなるまでの一年間、自宅と実家を行き来しながら、買い物、洗濯、料理補助や片付け、月数回の通院の付き添いを続けた。排泄や着替えは母親が何とか自力で行っていたが、入浴は一人で入ることに不安を覚えると、西崎さんに介助を求めてきたという。 「転倒が怖いから看護師さんにお願いするべきだと説明したのですが、『少し支えるだけよ、娘なのになぜできない』と(笑)。 いつも就寝前に入浴していたので、看護師さんに介助を頼んだら、訪問時間しか入浴できませんよね。そうした自分の生活スタイルを維持できない苛立ちや、思うように動けない自分への苛立ちも大きかったと思うのですが、次第に私への不満が増えていきました。施設入居も提案しましたが、頑なに拒否。自分が入ると言っていたのに、です(笑)。 私も心底疲れてしまっていた。『医療も介護も、もっと高齢者の“心”に寄り添うべき』と、理想ばかり論じる母への反発や、なぜ私だけが犠牲になるの、といった憤りも大きく、母のつらさに寄り添えず、優しく接することができなかった。後悔しかありません」