「なに、これ?」ノムさんが贈った誕生日プレゼントを返品した妻・沙知代さんの「意外な」理由
「このがらんどうの人生を、俺はいつまで生きるんだろう。俺はおまえのおかげで、悪くない人生だったよ...おまえは幸せだったか....?」 生きている間に伝えたかった「ありがとう」をこの本で。名将・故野村克也さんが綴った、亡き妻・沙知代さんへの「愛惜の手記」。 2人のかけがいのない思い出から「夫婦円満」の秘訣を紐解いていこう。 【漫画】「しすぎたらバカになるぞ…」母の再婚相手から性的虐待を受けた女性が絶句し *本記事は、野村克也『ありがとうを言えなくて』(講談社)を抜粋、編集したものです。 『ありがとうを言えなくて』連載第1回
沙知代さんへのたった一度の「プレゼント」
極力互いに干渉し合わないこと。それが夫婦生活を送る中で自然と身についたルールだった。 沙知代とはプレゼントのやり取りなども一切しなかった。誕生日も、結婚記念日も、クリスマスも、日常と何ら変わりなく過ごした。入籍した日も正確には記憶していないくらいだ。 まだ若い頃、一度だけ、誕生日にブローチをプレゼントしたことがある。ある店で、沙知代が「これいいわね」と言っていたので、覚えておいて、次の誕生日にプレゼントしてやろうと企てたのだ。 ところが、喜んでくれると思いきや、「なに、これ」の冷たいひと言だけ。それどころか沙知代は翌日、そのブローチをお店に返品してしまった。 店員さんの手前、少し褒めただけで、実際には、なんとも思っていなかったようだ。そのとき、沙知代に金輪際、プレゼントをするのはよそうと思った。
「どんな」の中に含まれない「妻・沙知代」
そんな妻に失望したかといえば、そうでもない。 贈り物を断るときなどに、よく「お気持ちだけ頂戴しますので」と言うことがある。だが、沙知代は物の中に「お気持ち」は見ない。純粋にモノとして見る。 目の機能としては、とてもシンプルだし、精度が高いとも言える。モノにとっても、沙知代のような人物に目利きをされた方が幸せではないか。気持ちが入っているからと言って、モノの良し悪しは変わらないのだから。 恐ろしいほど正直な女だな。どこかで、そうおもしろがってもいた。 ブローチの一件を話すと、よく「どんな女性でも、花をあげれば喜ぶものですよ」とアドバイスされる。そのたび、私はこう言葉を返したくなったものだ。 どんな女性の「どんな」の中に含まれない女性も、この世には存在するのですよ、と。その代表格が沙知代だ。 『「俺より先に逝くなよ」 天才的な采配をふるった名将・野村克也が唯一予測を失敗した「あること」とは? 』へ続く
野村 克也(野球解説者)