『お引越し』過去を抱きしめて未来へと疾走する、11歳の女の子の冒険
役者と並走するのではなく、役者に託す
間違いなく、本作のキーとなるのは主人公の小学六年生・漆場レンコだ。相米慎二はオーディションを重ね、理想のレンコを探し求めていた。やがて、老舗料亭を営んでいる田畑家に小学生の娘がいることを聞きつけ、彼は座敷で初めて田畑智子と対面する。 「俺が京都で酒を飲んでたら、その飲み屋の舞妓さんがいい人で、“京都にもいいおなごはんがいますえ”って。で会いにいったら田畑智子という女の子がいたんだよ。(中略)ガキのくせしてなんでこいつ腰が重いんだって感じ。落ち着いているっていうんじゃない。走ったら早い、ってそんな感じだよ。ためてる量の問題なんだな。感情とか喜怒哀楽とかね」(*3) 並々ならぬエネルギーを感じ取った相米慎二は、演技未経験の彼女をレンコ役に抜擢。これまでのフィルモグラフィーのなかでも、とりわけ天衣無縫で天真爛漫なヒロインが爆誕した。『お引越し』が過去の作品と大きく作風が異なる理由は、相米映画史上最年少となる11歳の女の子が主人公であることが大きい。 これまで相米慎二は、ティーンエイジャーの役者たちと真正面から向き合い、理解しようとすることで、アオハルの生々しい手触りをフィルムに刻みつけてきた。80年代の映画は、少年・少女を見つめる大人の眼差し(=相米慎二の視点)によって語られてきたのである。素っ頓狂でゴツゴツとした手触りなのは、彼の映画的な生理・感覚がそのまま表出していたからだ。 だが『お引越し』は、大人を見つめる少女の眼差し(=レンコの視点)によって構築されている。「相手は11歳という年齢でしょう。はなからわかり合えるわけがない」(*4)と語るとおり、監督が役者と並走するのではなく、役者に託すことで、新しい語りを獲得しているのだ。笑福亭鶴瓶演じる担任教師が、相米という名前をバラバラに分解した「木目米」という名前なのは、自分の立ち位置が「映画の外」ではなく、「映画の中」にあることを表明したものといえる。 Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下で開催された先行上映イベントで、登壇した黒沢清監督は、「撮影した『お引越し』栗田豊通さん、『夏の庭 The Friends』篠田昇さんの力と、相米さんが俳優の演技よりも“光”を優先している結果が繋がっているのだと思う」と発言。役者に対するアプローチの変化が、ダイレクトに撮影スタイルにも繋がっているとする指摘は、非常に興味深い。 かといって、この映画を「柔らかな光を帯びた、真っ当なホームドラマ」であると断言するつもりは毛頭ない。これまでのフィルモグラフィーにも通底する“生と死の境界”というモチーフを、少女の通過儀礼として機能させることで、別の意味で不穏さを醸し出しているからだ。