ヒグマにかじられ失った左目…命がけで対峙する北海道のハンター それでも共生の道探る“名士”
報酬額4倍超えも 地元猟友会はゼロ…大半が車で1時間の町外ハンター
猟友会が辞退を申し出てから約3か月後の7月末、奈井江町は手当を引き上げた。 報酬は日当4800円に加え、新たに1時間あたり1400円が支払われる。緊急の駆除出動のときは1.5倍の2100円に。クマ捕獲時は2万円を支給する。8時間稼働した場合、報酬額は4万1600円になる。当初案の4倍以上だ。 しかし、町が確保した11人のハンターの中に、地元猟友会のメンバーは1人もいなかった。10人が町外に住み、40キロ以上離れたところで暮らし、車でも1時間はかかる。 「いつでも行けるわけではないよ」。ハンターの1人が条件のひとつとして挙げたという。いざというとき、大丈夫なのか――。町民の不安は完全には解消しきれていない。
明治期から続く人喰いグマとの戦い “開拓民にとって死活問題”
北海道では明治の開拓時代から現在に至るまで、人間とヒグマの戦いが数多く記録されている。1878(明治11)年、札幌で4人が死亡したと言われている「丘珠事件」や、1915年に苫前町で8人が亡くなり、吉村昭の小説「羆嵐」のモデルになった「三毛別事件」など、枚挙にいとまがない。 ヒグマの歴史に詳しいノンフィクション作家の中山茂大さんによると、ヒグマにまつわる話はかつて話題の中心で、当時の新聞はヒグマを巡る事件をこぞって伝えていたという。 「今では考えられないが戦前から戦後にかけての新聞には誰々がヒグマを仕留めたと名前を記載している記事が多く見受けられる。人身被害のほか、農作物被害も相当多かった。開拓民にとっては死活問題。ヒグマの記事は比較的プライオリティが高かったのだと思う」 札幌農学校だった北海道大学の植物園(札幌市中央区)では、丘珠ヒグマをはく製にし、胃から出てきた被害者の手足のアルコール漬けを長らく展示した。 「当時は、ヒグマを仕留めると街中で解体することがたびたびあり何百人もの群衆が集まった。住民を安心させるという意味合いが強かったのでは」
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