「覇王」西良典vs「帝王」ロブ・カーマンの知られざるリベンジマッチ
「(カーマンは)いまや日本でもポピュラーになった対角線のコンビネーションで来ました。的確にコツンコツンと当てて、最後はローキックを当ててきた」 お互いそのときの感触は覚えていたのだろう。日本武道館で試合開始のゴングが鳴ると、西はいきなり左の足払いをきれいに決め、スリップダウンを奪う。出だし好調のように見えたが、時間が経つにつれ、カーマンは攻撃のピッチを上げていく。そして1Rの中盤に左ジャブで西を大きくグラつかせ、最後は右クロスでとどめを刺した。 大の字となったままピクリとも動かない西を目の当たりにして、レフェリーはすぐ試合を止めた。1R1分51秒、壮絶なKO負け。危険を察知した西のセコンドは口にすぐタオルを入れ、舌を噛まないようにしていた。 あれから34年、西は伝説の一戦を振り返る。 「わたしは柔道出身だから首の強さには自信がある。ところがカーマン戦のときには(相手に体重を合わせたので)13㎏も減量しなければならなかった。その間首は鍛えていなかったので、弱くなっていたのでしょう」 カーマンの右の衝撃を物語るかのように、試合直後、西の記憶は完全に途切れていた。セコンドに「なんで俺、負けたの?」と何度も聞き返し、試合内容を伝えられると、「俺、負けたんだ。弱いんだ」と肩を落とした。 決戦前は「勝たせていただきます」と宣言していたせいもあり、一部の関係者からは「それみたことか」と酷評された。「もともと西は組み技(柔道)の選手。打撃は下手くそだから」という声も耳にした。反論したかったが、「格闘技は結果が全て」だとわかっていたので言い訳はしなかった。しかしながら、軽重量級で世界最強といわれていたオランダのキックボクサーに日本人として真っ向勝負を挑んだ勇気と行動力は称賛されるべきではないか。 数年後、西とカーマンは正道会館の道場で再会した。近い将来の総合格闘技進出も視野に入れていたのだろうか、カーマンは寝技によるスパーリングを申し出た。 「総合でやったら、俺には勝てないよ」と念を押したが、カーマンにもプライドがある。西のアドバイスに耳を傾けることなく、寝技で組み合うと西の圧勝だった。ルールによって勝者と敗者は簡単に入れ代わる。元祖・立ち技と組み技の二刀流ならではの、知られざるリベンジマッチだった。 (つづく) 文/布施鋼治