「覇王」西良典vs「帝王」ロブ・カーマンの知られざるリベンジマッチ
この一戦は3分5ラウンドのヨーロッパルール(ヒジ打ちと顔面へのヒザ蹴りが禁止されたキックボクシングルール)で争われることが決定していたが、世間はキックボクシングというより〝キックボクシングVS空手の異種格闘技戦〟という見方をしていた。 確かに両者のベースを対比させると、異種格闘技戦といえるのではないか。異種競技者同士を闘わせる試合形式は、プロレスの専売特許ではなかった。すでに大道塾を抜けている身とはいえ、この一戦の煽りでも〝覇王〟と呼ばれるなど、大道塾時代の代名詞がしっかりと使われていた。もし敗北すれば、団体の看板に傷がつく。大道塾側から見れば、そう解釈しても不思議ではなかった。 大道塾関係者の説得に西は応じなかったが、喧嘩するつもりはなかったので、「見方によってはそうかもしれない。だけど、俺が勝てば逆に利用したことになる。これはオール・オア・ナッシングみたいなものだから」と自らの見解を述べたうえで反論した。「今回の一戦に対して文句を言うほうがおかしい。リスクを踏まえてやるのが俺の仕事だから」 決戦前、筆者は格闘技専門誌で西のインタビューをしている。そのとき西の口からのちに彼の決まり文句となる「勝たせていただきます」という言葉を初めて聞いた。当時35歳だった西は、こんな本音も漏らした。 「いつまでも空手が逃げてばかりはいられないでしょう。最強の空手というなら、最強の人間(選手)を倒して証明しなければならない。でも本来だったら、自分ではなくて、もっと若い選手に名乗りをあげてほしかった」 当時は極真空手を創設した大山倍達も存命で、極真空手の最強幻想は残っていたが、「もしキックボクシングで空手家とキックボクサーが闘わば」という話になれば、キックボクサーに分(ぶ)があると囁(ささや)かれていた。 その名の通り、フルコンタクト空手は直接打撃制ながら、拳による顔面殴打は反則とされている。そこに慣れていない分だけキックボクサーを相手にすると劣勢にならざるをえないと考えられていたのだ。 そんな世論に一矢報いた空手家もいる。西VSカーマンが実現する3ヵ月前、ところも同じ日本武道館でドン・中矢・ニールセンに壮絶なケンカファイトを挑み、1RKO勝ちを収めた佐竹雅昭だ。 この一戦は大きなインパクトを残した。手応えを感じた全日本キックとしては空手VSキックの第2弾がどうしても欲しい。それが西VSカーマンをマッチメークしようとした裏事情だった。空手界は「顔面あり」の方向へと動いていた。 ■衝撃の1ラウンド決着と「その後」 以前オランダ修行に行った際、西はカーマンが所属するオランダ目白ジムでスパーリングをした経験があった。