【闘病】“後縦靭帯骨化症”と告知。「病気と闘う気力は残っていない」と思いながらも続けた闘病生活
前向きに歩み始めた矢先の病気の告知...「2年経った今でも思い出したくない」辛い記憶として残る闘病期間
編集部: 病気が発覚する前はどのような生活やお仕事、活動をされていましたか? micoさん: 当時はうつ病の闘病中で、仕事は内職をしていました。ですが、何とか前向きに進もうと体調を見て家事や料理をして、日々の料理をSNSに載せるといった活動をしていました。 食育インストラクターの資格も取得し、ありがたいことに1万人以上のフォロワーの方々と交流させていただいていました。 私のレシピを見て作ってくださった方が、「近所の方に差し入れをしたら大変気に入ってくださった」という声もあり、本当に嬉しかったのを憶えています。 編集部: 短歌もお得意だそうですね。 micoさん: 独学で始めたのですが、作品がNHK全国短歌大会で特選に選ばれるなど闘病中でも嬉しいことがあり、このまま前向きに進みたいと考えていました。しかし、その矢先に後縦靭帯骨化症に罹患したので、とてもショックでした。 編集部: 一時期はかなり気落ちしたのではないですか? micoさん: 診断を受けた時、私にはもう病気と闘うほどの気力は残っておらず、心身共に疲弊しきっていました。レシピの執筆も短歌もやらなくなり、「病気に負けずに頑張る」という前向きな気持ちにはなれませんでした。 発病から2年経った今でも、決して前向きに闘病しているわけではありませんが、それでも私は今生きています。 編集部: とても辛い期間だったと思います。 micoさん: 私は「良い患者」であろうとして、自分の辛い気持ちに蓋をしていたのだと思います。「弱音は吐くべきではない」「世の中にはもっと大変な方もいる」と思い、闘病を黙って一人で我慢する癖ができてしまったのかもしれません。 罹患してからの2年間は本当に辛く、今でもはっきりと思い出したくない辛い記憶です。最もひどい時はどんどん痩せていき、ほぼ寝たきりで床ずれがひどく痛みました。 手のしびれで当たり前の日常生活ができなくなり、ベッドで毎日病室の天井を眺める生活でした。ですが、過去に一度難病を体験した時のことを思い返し、母の愛情のおかげもあって前向きに生きようと思えるようになりました。