選手時代、私は自分で自分に見切りをつけた。戦力外通告を受け後悔するであろうがそれでも日々を懸命に過ごすことが大事【伊原春樹の野球の真髄】
今季限りで退任となった楽天・石井監督[写真=井沢雄一郎]
私が最初に西武監督を務めた2002年はリーグ優勝を果たしたが、連覇を狙った03年は新人の和田毅が14勝、新垣渚が8勝、そしてケガから復活した斉藤和巳が20勝を挙げるなど大きな上積みがあったダイエーに優勝をさらわれた。連覇がついえて公式戦は数試合を残すのみ。そんな状況下で西武ドームの監督室に当時の球団代表が訪ねてきた。言われることは容易に察せられた。 「来季は伊東(伊東勤)君に監督をやってもらいます。伊原監督には2シーズンという短い間でしたが、本当にご苦労さまでした」 球団代表からは解説者の道も示されたが、私はどういう形であれ、伊東監督をサポートしたい旨を伝えた。こうして私は2年間の監督生活を終えたが、球団代表から内密に伝えられて2日もしないうちにスポーツ紙が「伊原辞任」と一面に大きく取り上げた。公式戦も残り2試合で、こちらとしては全日程が終了してから発表しようと考えていた矢先のことだった。 辞任報道が出た翌日、自宅で夕食中に一本の電話がかかってきた。オリックスの・・・
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週刊ベースボール