「いつもの先生」が教えることに意味がある──性教育を担える教員をどう育成するか【#性教育の現場から】
ところが、その後も都内の中学校の授業に対して同様のバッシングがあった。このときは区教委が「問題ない」とした。 「バッシングは教育現場を萎縮させました。『面倒なことになるから性教育はあえてしなくていい』と考える学校の管理職は多いと思います。『はどめ規定』がある限り、先生たちは安心して性について教えられないということです。セクシュアリティ教育をすべての子どもたちに届けるためには、『はどめ規定』をなくし、セクシュアリティ教育を推進する法的基盤が必要です」(田代さん) 教えたいと思っても、先生たちがセクシュアリティ教育を学ぶ場は限られていて、学校の環境も整っていない。こうした困難な状況にあっても性について学校で教えることには、どんな意義があるのか。田代さんはこう考えている。 「学校の先生が性について教えてくれることで、子どもたちは性をポジティブに当たり前のこととして捉えることができます。一方でセクシュアリティ教育を実践するためには、先生方も子どもとともに学ぶ必要があります。この姿勢はある意味、教育の本質であり、だからこそ実践する先生方のほとんどが、子どもたちとの信頼関係が深まることを実感できるのだと思います。学校が変わらないとセクシュアリティ教育ができない現状もありますが、セクシュアリティ教育の実践は、子どもを大切にする学校づくりに確実につながります」
--- 岡本耀(おかもと・よう) フリーライター。主に性教育の分野で取材・執筆活動を行う。