かつては現役ブラジル代表も来日…Jリーグで印象に残る「外国人の名ゴールキーパー列伝」
ビッグネームだったのが、現役ブラジル代表選手として1995年にセレッソ大阪に加入したジルマールだ。来日時すでに36歳だったが、サンパウロやフラメンゴの名門クラブの正GKを長く務め、1994年アメリカW杯優勝メンバーだった実力は伊達ではなく、猫を真似たという俊敏な動きで次々とビッグセーブを繰り出した。特にPKに滅法強く、当時はリーグ戦でも引き分けがなくPK戦まで実施していたことで、ジルマールのPKストップシーンを度々、目の当たりにした。在籍2年半でリーグ戦80試合に出場。その優れた人間性、プロフェッショナルな姿勢でも多くの尊敬を集め、引退発表後の現役最後の試合では、対戦相手だった鹿島アントラーズの選手も混じって胴上げされることになった。 胴上げと言えば「優勝」。黄金期のジュビロ磐田の正GKとして活躍したのが、オランダ出身のヴァンズワムだった。30歳で来日。2000年の2ndステージから磐田のゴールマウスを守り、身長188センチの長身と優れたセーブ力とキャッチング技術を披露。1stステージ優勝を飾った2001年には、Jリーグの外国人GK史上初のベストイレブンに選ばれた。その後、2002年の完全優勝にも貢献した後、2003年のシーズン途中で退団。その間、クラブが川口能活(当時イングランド2部ポーツマスに所属)とのトレードを画策したことで一悶着あり、2003年にレギュラー剥奪から喧嘩別れのような形となったことは残念だったが、それも含めて記憶に残る助っ人GKだった。何より、Jリーグでの4シーズン、リーグ戦出場74試合で66失点、失点率0.89という驚異的な記録を残した。 黄金期ではなかったが、優れた実力で同じくジュビロ磐田の守護神に君臨したのが、ポーランド人GKカミンスキーだ。アンダー世代の代表歴を持ち、2015年1月に24歳で来日すると、当時J2だった磐田でPKストップを含むビッグセーブを連発し、クラブ3年ぶりのJ1復帰に大きく貢献した。さらにJ1昇格後も、非常に優れたシュートストップ能力を発揮。崩壊気味だった磐田の守備陣の最後の砦となり、サポーターから「神ンスキー」「神ック」と崇められた。最終的に2019年まで磐田でプレーし、Jリーグ通算152試合に出場。2018年にヴィッセル神戸に加入したアンドレス・イニエスタの反転トラップからの衝撃的なJリーグ初ゴールを決めた際にゴールマウスを守っていたGKでもあった。