かつては現役ブラジル代表も来日…Jリーグで印象に残る「外国人の名ゴールキーパー列伝」
2024年のJリーグも最終盤を迎えている。J1の優勝&残留争いに昇格プレーオフと最後の最後まで目が離せない状況が続くが、J1残り2試合で“目に焼き付けておきたい”選手が、名古屋グランパスの正GKランゲラックである。2018年の加入から7年間にわたって守護神として数々のファインセーブでピンチを救い、今年のルヴァン杯優勝で有終の美を飾ったJリーグ史に残る名GKだ。彼に敬意を払いながら、これまでランゲラック級のインパクトを残した助っ人GKを振り返りたい。 【写真】サッカー日本代表、“固定化”された選手以外で「次のW杯メンバー入り」期待したい選手がこちら Jリーグ創成期に一躍人気者になったのが、「クモ男」と呼ばれたブラジル人GKシジマールだ。1993年に31歳で清水エスパルスに入団。当初はGKコーチとしての契約だったが、自ら現役復帰を直訴してコーチ兼任選手として同年の2ndステージでデビューすると、6試合連続無失点を記録するなど救世主となり、翌1994年の1stステージでも大活躍して優勝争いの立役者となった。武器は身長183センチながら両手を広げた際に193センチという腕の長さ。そのリーチを生かしながら次々とシュートをブロック。当時のJリーグブームも重なり、両手を広げて姿勢を低くして構えるシジマールの仕草を真似したサッカー少年が続出した。在籍3年でJリーグ戦出場61試合。引退後は指導者として日本のプロ・アマチュア問わずに数多くのチームで活動している。 同じくコーチから現役復帰を果たして活躍したのが、ディド・ハーフナー(現ハーフナー・ディド)だ。1986年、同じオランダ出身のハンス・オフト監督に誘われる形で日本リーグ時代のマツダのコーチ兼任選手として来日。その後、読売クラブを経てトヨタ自動車のGKコーチに就任すると、Jリーグ開幕前年の1992年に現役復帰を果たし、闘争心溢れるプレーで名古屋グランパスの守護神として活躍した。その後、家族とともに帰化して日本国籍を取得し、ジュビロ磐田、コンサドーレ札幌でも衰え知らずの鋭い反射神経でゴールを死守。最終的にJリーグ通算148試合に出場した。息子2人(ハーフナー、ニッキ)もJリーガーとなり、特に長男のハーフナー・マイクは長身FWとして日本代表にまで上り詰めた。