世界が熱狂「アインシュタイン現象」 その裏にあった「西洋の没落」への不安と「原爆」への予感
アインシュタイン神話
こうした、一見、純理論的産物が物理学を含む科学の世界をもはるかに超えて、1919年に突然世間に立ち現われた。 まず、イギリスの天文学者アーサー・スタンリー・エディントンが入念に計画し、日食時を利用して、太陽重力によって光の経路が曲がるという現象を観測した。そして、この発見がなぜか当時の新聞で大々的に報道された。「ニュートン以来の物理学の革命だ」というかたちで瞬く間に社会の大きな話題となった。 ニュースではなく、文化現象として社会に広まった。生まれた子供に「アルベルト」のファーストネームを付けるのが流行ったし、ドイツでは「レラティビテート」(ドイツ語で「相対性」)というタバコが売り出されたそうである。その熱狂はアインシュタインという人物への興味と一緒になって、世界的に高まっていった。 現在でも、「物理学=アインシュタイン=相対論」という世間の物理学イメージは消えていない。このシンボルが発する意味は各時代で少しずつ違っていたが、現在も物理のシンボルである。これは誤解も正解も生み出すシンボルであるが、存在意義を増した科学をめぐる文化の大衆化、消費化、情報化などの中で時代とともにいっそう強固なものになった。 冷静に見れば、20世紀物理の主役は相対論よりはむしろ量子力学であり、19年の当時でも「ニュートン」力学を揺るがす量子の世界は明白に姿を現わしていたが、そういう興奮は学界内にとどまった。
救世主
この熱狂はX線の発見以来であった。そのときは人々はレントゲン自身よりはX線そのものに群がったが、相対論ではアインシュタイン本人に群がった。なぜこれほどの熱狂が巻き起こったのかをめぐっては、多くの社会的、文化的、政治的な研究がなされている。 この状況を説明する事実の1つは、1918年が近代ヨーロッパ文化の終焉さえ暗示させた凄惨な第一次大戦の終わった年であることだ。ドイツの歴史哲学者オズヴァルト・シュペングラーの『西洋の没落』という本が発行された年でもある。もろもろの権威崩壊がかもしだす不安と解放感と新たな救世主への憧憬がないまぜになった雰囲気が社会を支配していた。日本は大正デモクラシーの時代である。 ともかく、この一件を機に、アインシュタインの身の回りは次第に騒々しくなり、ヒットラーに恐怖するユダヤ人として彼自身が原爆の登場にまで手を貸し、20世紀の歴史に深く関わることになる。 これに続くマンハッタン計画から原爆投下へ至るプロセスは「原爆が焼きつけた物理学の「栄光」 オッペンハイマーのマンハッタン計画とアトミックパワー」を、オッペンハイマーの失脚から冷戦と物理学の蜜月、そしてその後の顛末については「「物理帝国」のヘゲモニーを牽引した冷戦の力学 しかし「核のツケ」はいつ誰が払う?」を、佐藤文隆氏による20世紀物理学史、そして未来への提言は「「知の王者」物理学の栄光と黄昏……「コスパ時代」に科学が生き残る道はどこにある?」を、それぞれご覧ください!
佐藤 文隆(京都大学名誉教授)