パンクなふたり出版社・点滅社代表の屋良朝哉が語る"鬱"と"編集"「憂鬱で死にたくなっているくせに、憂鬱のおかげで生きられている気がするんです」
屋良 オーケンさんはじめ、大好きなみなさんから届いた原稿を読ませていただく時間もサイコーでした。「"鬱"と"本"がテーマであれば、救いのない内容でも大丈夫です」とお伝えしていたのですが、みなさん、スゴくやさしい文章を送ってくださるんですよ。読むたびに、ぼくが元気をもらっていたほどです。 と、みなさんのやさしさに包まれていられたのも束の間。これは絶対に完成させなきゃ、ここで頓挫させちゃダメだ......って。プレッシャーと責任感もふつふつと沸いてきましたね。 ■「止まらない」じゃなく「止まれない」 屋良 でも『鬱の本』が売れたのは、それだけ生きづらさを抱えている人が多いってことですよね。そう考えると少し複雑です。『鬱の本』に限らず点滅社の本は、ぼくの思想思考が出過ぎているために、どれも"鬱"の要素が強いのですが、理想を言えば、点滅社の本を誰も必要としない......、つまり、みんなが憂鬱を抱えずに生きられる世界のほうが絶対に良いと思うんですよ。ぼくは点滅社が潰れないように頑張っているけど、全く売れずに潰れるほうが、社会としてはマトモなんじゃないかって、本気で思っていて。難しいんですけど。 ――そんな世界だからこそ、鬱屈とした気持ちをエネルギーに変えてガムシャラに活動している点滅社の存在、点滅社の書籍に救われている人は多いと思います。 屋良 そうだとうれしいです。あの、やっぱりぼくは、しんどい思いをしている人たちに「生きろ」とか「死ぬな」とか「大丈夫だから」なんて言葉はとても言えなくて。オーケンさんの『Guru』という楽曲に「お前だけはわかってあげなさい」って歌詞があるんですけど、そうやってぼくが筋肉少女帯の音楽に支えられたように、作品を通して、誰かが人知れず抱える苦しみややりきれなさ、報われなさみたいなものを照らすことができたらと思って本を作っているんですよね。おこがましくても、それが点滅社の、ぼくのやりたいことだから。 でも、ぼくは希死念慮がかなりヒドいんですけど、矛盾しているようで、憂鬱があるから生きられているのかもと思うときがあります。憂鬱で死にたくなっているはずなのに、憂鬱が生きる動機にもなっているっていうか。逆に、憂鬱が無くなったら何もできなくなる気さえしていいます。こんな調子で、ぼくは一体いつ助かるんですかね? 助かるって何なんだろう......? うーん......。 ――屋良さんの憂鬱が晴れたら点滅社の存在意義は確実に変わってしまいますよね。もちろん、精神的に健康なのに越したことはないですが。 屋良 ちょっと意味が違うかもしれないけど、オーケンさんも「コンプレックスを舞台に上げればそれはロックになる」とおっしゃっていました。って、ぼく、オーケンさんの話ばかりしてますね(笑)。でも、ぼくはオーケンさんから、"憂鬱"やそこから生まれる"行き場のない怒り"をエネルギーにして、カッコいい表現に昇華する精神を勝手に受け継いだので、点滅社の活動を通して、どんどんそれを継承していきたいんですよね。それができれば、点滅社は潰れても良いです。いや、潰したくはないですけど......。 ――ところで、憂鬱のあまり思うように身体を動かせない日もあると思います。そういうときは、どのようにお仕事されているんですか? 屋良 基本的には、どんなにしんどくても「でも、やるんだよ!」という根本敬論で頑張っています。本当にダメなときはOD(オーバードーズ)をして無理やり身体を動かしていたこともありますが、さすがに会う人みんなに心配されまして......。最近は1日の労働時間を3時間くらいに抑えて、ヤバいときは何もせず寝るようにしていますね。起きていたとしても、ただ机の前に座ってボーッと音楽を聴いたり、電話も出られずメールも返せず、ただパソコンに表示される通知を眺めていたり......。 ――気づいたら1日が終わっている、みたいな。