パラリンピック「無観客開催だが学校観戦OK」に3つの矛盾
橋本会長は「特に1都3県の知事の皆さんから五輪以上にパラリンピックの学校連携に強い要請があった。共生社会の実現のために子供たちに観戦させてあげたい。安全最優先の大会であるので要望に応えながら万全な対策を講じていくことで(学校観戦の)理解をいただきたい。子供たちに感染させると大変なことになる。学校、自治体、保護者の協力なくして実現はできない。不安のないように安全対策を講じていきたい」と説明した。 ただ県をまたいでの観戦はさせず、観戦は会場に隣接した学校に限り、生徒の移動に関しても公共交通機関を使わずに専用のバスを用意するという。 また橋本会長は、政府の新型コロナ感染対策分科会の尾身茂会長が、五輪前に「管理できる学校観戦は、対策を万全に講じればいいのではないか」との方針を示していたことを例に出したが、これも、あくまでも五輪前の感染状況での発言。その点を追求されると「(専門家の)ラウンドテーブルで意見をうかがいながら万全な準備をするためのアドバイスをいただいている」と説明したが、現状を踏まえた上での専門家の意見がどうであるかは明かされなかった。重要な決定に関する経緯としてはあまりにお粗末ではないか。 そして橋本会長は、「感染がさらに拡大した場合、すみやかに4者協議を開催し、(学校観戦を)とりやめることも十分に考えられる」と、今後、学校観戦を中止にする可能性があることも示唆した。 だが、現状が「災害レベルの非常事態」であるのに「これ以上拡大する場合」とは、どういう基準を突破した場合になるのか。東京都の1日の新規感染者数が何人以上となれば、「これ以上拡大する場合」に相当するのか、という2つ目の疑問が浮かぶ。 しかし、その基準が明らかにされなかったどころか、組織委員会の武藤敏郎事務総長は、「どのようなときに(4者協議が)行われ、どのような結論となるのか、それはそのときの状況で明らかになることで、今の時点で申し上げることはできない」と、まったくのゼロ回答だった。 3つ目は、そもそも保護者の意見をどうくみとり、もし学校観戦により、新型コロナの感染者が出た場合は、誰がどう責任を取るのかという疑問だ。 武藤事務総長は、「最終的に判断されるのは学校設置者と自治体。希望する方々が状況判断をする」と答えた。 すべての責任は「自治体と学校にある」とも聞こえる見解だったが、それについて再度、質問をされると、「学校連携観戦は、(自治体の)ご希望にもとづいて実施するもので、それぞれの責任者がさまざまな状況で判断されるだろう。責任が誰にあるかを申し上げたわけではない。希望がなければ実施するわけではない、ご希望があればサポートする用意があるということ」と返答した。 最終決定は、自治体の長、つまり知事に“丸投げ”という結論は、あまりに無責任だろう。 ネット上でも、もしかすれば子供たちの命を危険にさらすことになるかもしれない学校観戦の許可については、批判的な意見が多く寄せられていた。 「医療崩壊が起きていると言っても過言ではないこの時期に、子供たちが感染してクラスターが起こった場合のことは考えてあるのだろうか」、「このヤバイ時期に子供たちや保護者ならびにご家族の健康をなんだと思っているのか」、「児童や生徒に、障害者スポーツの理解を深めるという事は賛成だ。ただ、そうであるなら、何も会場で見学させるのではなく、各教室でTV観戦させれば良いと思う」、「新型コロナの感染症以上に熱中症が心配」などの批判や疑念だ。 先の五輪では、選手村などに“バブル”を作るなど、感染予防対策を徹底したはずが、大会関係者及び出場選手に計544人もの新型コロナ感染者が出た。IOCは、五輪関係者全体の人数に対する感染者数のパーセンテージの低さを強調して「安心・安全」が担保されたとスピーチしていたが、まるで“穴”だらけである。 現在、デルタ株が猛威をふるい、市中感染が起きている状況の中で、子供たちに集団で行動させることに不安は残る。現場では子供たちが、大会関係スタッフと接触する可能性も十分にある。最終的に自治体や学校がどういう結論を下すかわからないが、参加アスリートのワクチン接種率なども、「把握できていない」(武藤事務総長)という不透明な部分が多いパラリンピックで、子供たちの「安心・安全」よりも「共生社会実現のための教育的意義」を優先する決定は、本当に適切なのだろうか。