なぜ東大生は「議論が得意」なのか。彼らが世間一般より飛び抜けて「とても短い時間で」できることとは
吉本興業で芸人をしています。さんきゅう倉田です。この連載では月に4本寄稿しています。 欠かすことなく読んでくださっている方々、これからもよろしくお願いします。 大学で「あの記事読んだよ」とか「お母さんが読んでる。面白いって言ってたよ」と声をかけてもらうことがある。 そういう声があると、緊張感を持って執筆できる。 文法、レトリックなど、注意深く書き直し、事実と少しでも異なることを書かないようにしなければならない。 大学の外の人、ライターさんとか会社員とかに会うと、事実確認を蔑ろにしている人が多い。 「~~の人がたくさんいて」みたいな話を聞いて、「何人くらいいるんですか?」と聞くと、「ふたり」みたいなことがある。 学術的でない人は、すぐに一般化してしまう。 ぼくはそういう考えをよしとしないから、論拠を持って話をできる人とばかり付き合うようになる。 論理的に話ができない人との時間を減らす一方で、実は会話がほとんどできない相手との交流を強く求めている。 外国人だ。 とくに、英語かフランス語を話す人と会う機会を大切にしている。 先日、大学のトレーニングルームでベンチプレスをしていたら、「%恕△Λ!~ε*」とよくわからない声がした。
トレーニングルームでの留学生とぼく
「%恕△Λ!~ε*」 周囲に人は少ない。おそらくぼくに言っている。 しかし、70kgのベンチプレスを挙げている最中なので、顔を向けることができない。耳を澄ませた。 「One more ! Strong !」 外国人留学生が、ぼくを鼓舞するように叫んでいた。 ぼくは限界まで挙げてから重りをバーに戻し、起き上がって留学生の方を見た。 親指を立てて、「Strong !」と言ってくれた。 しかし、ぼくはなんと言っていいか分からなかった。 彼が陽気なタイプの外国人だからといって、誰にでも声をかけるわけではないだろう。 日本人の学生と交流したい気持ちがあったのかもしれない。 しかし、すべての東大生が英語を話せるわけではないから長文の英語で話しかければ相手を困惑させると考えているのかもしれない。 ぼくが英語でコミュニケーションを取れば、相手は安心して会話を続けるだろう。でも、ぼくは喋れない。悔しい。 「Thank you」 会話は終わった。 日曜日にトレーニングルームに行くと、留学生が集まっていることがある。その中にはフランス人もいて、ぼくは会話の機会を常に伺っている。