山中瑶子監督が語る『ナミビアの砂漠』。無意味に過ごす時期があってもいいし、一生それでもいい
カナ(河合優実)は脱毛サロンで働く21歳。甲斐甲斐しくカナの世話を焼く彼氏・ホンダ(寛一郎)との同棲中に、クリエイターのハヤシ(金子大地)と関係を持つ。そしてホンダと別れハヤシと同棲生活をスタートさせるのだが、カナは次第に心のバランスを崩していく――。 【画像】山中瑶子監督 9月6日公開の『ナミビアの砂漠』は、デビュー作『あみこ』で注目を集めた山中瑶子監督の約7年ぶりとなる長編映画。主演を務める河合優実に当て書きしたという「カナ」は、破天荒で自己中心的だが、自身の心の声を聞き逃さない純粋さと賢さがある、目が離せなくなる魅力を持った主人公だ。 山中監督はこのカナという人間をどのように描いていったのだろうか。またどうしてカナを描こうと思ったのか。本記事では、山中監督とプライベートでも交流がある、「肌蹴る光線」(映画の上映 / 執筆活動を軸としたプロジェクト)の井戸沼紀美を聞き手に迎えインタビューを実施。いまを生きる若者の感覚や「若さと老い」といった普遍的なテーマ、本作における身体的な表現についてまで、30分という短い時間のなかでたっぷりとお話しいただいた。
「おかしいのはこの人たちでなく世界」。20代前半の人たちが感じるいまの日本
―主人公のカナがとにかく魅力的で。どうやってこのキャラクターが生まれていったのか気になります。 山中:河合優実さんを主人公に脚本を書くぞ、となったときに、自分より年下である今の20代前半の子たちが何を考えているのかすでにわからなくなってきた感覚があって。河合さんや年下のスタッフの子にいろいろと話を聞きました。「いまの日本、東京で生きてる気分はどう?」みたいな、ざっくりした話とか。そうすると、みんな立場や属性は違えど、終末みたいなムードを感じていることがわかってきて。 ―劇中にも「日本は少子化と貧困で終わっていく」というセリフがありました。 山中:もう日本は終わっていく、という感覚を抱いたときに「最悪、何でこうなってしまったの?」という人もいれば、「もう終わっていくだけだから真面目に考えなくていい、むしろやりたいことがやれる」という人もいて。そういう話をちゃんと聞けば聞くほど「おかしいのはこの人たちでなく世界」、みたいなことになっていくというか。 だからカナに対しても、めちゃくちゃで、不義理で、自己中心的な、ダメな部分も描こうとしてはいるけど、それだけじゃいけないな、と思ったんです。 ―作品を観ると、一見破天荒に見えるカナは混沌とした世界に必死に抵抗しているだけで、常識があって頭がよく、主体性がある人物のようにも思えました。 山中:本当におっしゃるとおりで。世界がめちゃくちゃだっていうことを忘れがちですよね。 ―瑶子ちゃん自身は、生活していて「終わっていく感じ」を感じることはある? 山中:うーん。明らかに、駅でお酒飲んで倒れてる人が増えたな、とか。政治家も、私が子どものときはもうちょっとちゃんとしていたような気がするし。木を切ったり、街で見るいじわるベンチも嫌ですね。属性の違う他者に対して不寛容すぎたり、悪意を向ける局面を見ることが増しています。 ネット上のヘイターなんかを見ていても、実際にはそんな人に出会うことがあまりないからこそ、「誰?」「どこにいるの?」と怖くなります。カナが言う「やってることと思ってることが違う人がそこらじゅうにいるのは怖い」ってセリフにはそういう感覚が反映されているかもしれません。インターネットで人の極端な部分が可視化されやすくなった側面もあると思うんですけど。