山中瑶子監督が語る『ナミビアの砂漠』。無意味に過ごす時期があってもいいし、一生それでもいい
男女の身体に関する不均衡
―プロレスつながりで言うと、個人的には『ナミビアの砂漠』の喧嘩シーンを観たとき『カリフォルニア・ドールズ』(ロバート・アルドリッチ監督、1981年)の泥試合を思い出しました。女たちがお互いの衣服をつかんで取っ組み合いをすると胸が丸見えになり、映画はそれを映し続けるのですが、前に文筆家の五所純子さんがそのシーンを「女だって胸くらい出すし、胸出てるくらいで騒ぐな」というような文脈で紹介されていて。『ナミビア』からもそんな姿勢を感じるなあと。 山中:五所純子さん、今回まさにパンフレットの寄稿をお願いしました! そして私も「胸なんて映したっていい」と思っていますね。性的な対象ではない、生活の一部としてあたりまえにある身体を映したいと思っています。 ただ、実際にそれを自分が撮るかどうかはもちろん俳優の選択が最優先であると思っています。こちらが無理にお願いすることではなく、映画においての意図やわたしの考えを伝えて、理解された上でできることです。 ―「胸なんて出したっていい」と思いながらも、実際にそれをできるかどうかとなるとさまざまなハードルがありますよね。男性は屋外で上裸になってもそこまで驚かれないのに、女となるとそうもいかないとか。序盤に出てくるハヤシの立ちションも、同じような文脈で印象に残りました。 山中:まさに! 物陰さえあれば平気で立ちションをする男性がたまにいますが、女性にとっては危険が伴う行為ですよね。そういう不均衡については、常に思うところがあります。フィンランドなど諸外国では、公共のサウナやビーチに全裸でいても性的に眼差されることはないのに、こと日本においてはそうはいかない。性的に消費されるためだけに女性の身体があるように感じることが日本では多すぎます。
若さへの自覚、歳を重ねることについて
―最後にあらためて、今回の映画でなぜ21歳の女性の物語を描こうと思ったのかが知りたいなと思いました。作中にいろいろなテーマがあるなかで「若さと老い」みたいなことも、重要な一つとしてあると思っていて。 山中:そうですね。私は20歳で初めてつくった映画(『あみこ』)がバッと評価されたことで、20歳前後の期間に、あんまり自分のことを考える時間がなかった自覚があるんです。四六時中映画のことを考えるべき、というようなことを当時は本気で思っていて。でも、いま振り返るとそれってひどいことだと思うんです。「この世のすべてが映画のネタになりうる」みたいな思考になっていくから。 ―人間関係とかも。 山中:はい。例えば、嫌なことを言われても「それも映画のネタになるじゃん」と思ってしまう。周囲からも、そういう言葉を投げかけられることが多かったですし。そういう考え方がすごく嫌だったということを、ここ数年で自覚して。『ナミビア』のなかでクリエイターのハヤシを批判する言葉は、自分にも向かっている部分があるんです。自分の本当の気持ちに目を向けなさすぎたツケってどう回って来るのかな、ということを考えるようになって。それが今回の映画をつくった大きな原動力になっているかもしれません。 ―そんなふうに感じていた時期があったんですね。 山中:そうなんです。別に「わざと波乱を起こそう」とかはないんですけど。自分の感情とか、人の感情を真剣に考えられていなかったな、と思います。周りの人によくない影響を与えた側面もあっただろうし。 ―劇中では唐田えりかさん演じるアパートの隣人や渋谷采郁さん演じるカウンセラーなど、カナより年上の人々がとても魅力的に描かれていて。それを見ていると、瑶子ちゃん自身は、歳を重ねることに対して悲観的ではないのかなとも思ったのですが、実際にはどうでしょう? 山中:確かにそうですね。そうなればいいな、という願望もあるかもですけど。歳をとるということが……いいことだと年々思えてきています。歳を重ねれば重ねるほど新しい感情も知れるだろうし。自分のこれまでを振り返ると、何もわかってなかったな、といまですら思うので。また10年後、いまの自分に対して「全然わかってないな」と思うだろうし、死ぬときにも「何もわからなかったな」と思って死ぬんだろうなと(笑)。 ―監督した映画を広める言葉のなかに「最年少」「女性」「◯歳」といった内容が多いことについても、どう思っているのか聞いてみたいと思っていました。そういう言葉とともに宣伝活動をしていくと、他の人よりも自分の若さに自覚的にならざるを得ない部分があるんじゃないかと想像して。 山中:たしかに。「史上最年少」とかについては「はい」って感じですね(笑)。結果論ですし。でも、若くないと価値がないって、昔は思い込んでいたようなところがあったかもしれません。 ―いつの間にかそう思わされているときがありますよね。学生時代、世の中が求める「女子高生」みたいなものに、自らの振る舞いを寄せてしまっていたなと後から気づくとか。 山中:「いまが一番かわいい」みたいな語り口とかもありましたよね。でも実際に十年近く経った今を生きていると、女子高生のことを見もしなくて(笑)。別に一緒というか。 ―ね。年齢って順番だし。 山中:そうですよね! だから何? と思いますね。でも一方で、人生の早いうちにいろいろ見させてもらって良かったな、という感覚もあります。「カンヌとか、こんなもんか」って。 ―ウワー! 山中:「カンヌ! 権威!」みたいな自分が持っていたイメージと、実態としてあるカンヌという街で行われる映画祭のムードの違いって、やっぱり行ってみないとわからなかったことで。それに早いうちに気がつけたのは良かったです。この先、映画を作ることで何を目指していけばいいのかがわかるので(笑)。 ―格好いい……。 山中:でも、私は映画がなかったら、本当に怠惰な人間なんですよ。それでいい、ということを思っているし、言いたい気持ちもあって。 ―うんうん。 山中:『ナミビア』のなかでカナという人間が過ごすある一定の時間はもしかしたらすごく無意味に見えるかもしれないけど、別にそういう時期があってもいいし、一生それでも別にいい。混沌としていたっていいし。それを自分にも言いたくて。 諦め前提で、守りに入って正しい選択をしていく、みたいなことより、もうちょっと実存を生きようというような気持ちがあります。それは、自分が21歳のときには気づけなかったし、自覚できなかったことで。だからいま、そういう映画を撮ったのかもしれません。
インタビュー・テキスト by 井戸沼紀美 / 編集・リードテキスト by 吉田薫 / 撮影 by 西田香織