青春18きっぷ、もう廃止すべき? 「感情的な反発」を超えて進む鉄道の未来、現代の「自由」との共存は不可能なのか
時代背景と変化
かつて、“自由の象徴”ともいえる切符があった。それが「青春18きっぷ」だ。 この切符を手にした若者たちの顔に浮かぶのは、何物にも代えがたい興奮と期待の表情であったに違いない。背中に背負った旅行鞄、足元に広がる無限の可能性――。あの頃の記憶は、今もなお心のなかで鮮やかに輝いている。 【画像】「えぇぇぇ!」これがJR東海の「平均年収」です! 画像で見る(11枚) あの頃の青春18きっぷの象徴性は何か特別なものを持っていた。それは、単なる移動手段以上のものであり、若者たちの心を満たす冒険の切符であった。 しかし、あれから年月は流れ、世界は変わった。かつて無限の可能性を約束したその切符が、今となっては、過去の遺物のように感じられることが少なくない。 鉄道の風景もまた変化し、私たちの移動に対する感覚は変わった。青春18きっぷは、その名前の通り、もはや「青春」という時代を象徴するものではなくなったのかもしれない。 改変されたルールでは、連続して3日間または5日間だけ利用でき、利用人数もひとりに制限されるようになった。
「自由」と効率化の狭間
それでは、なぜ今、青春18きっぷは廃止されたほうがよいのか。 それを考えるとき、まず思い浮かべるのは、あの切符が持っていた 「自由」 という価値である。若者が旅をすること、それが持つ意味は大きかった。だが、現代の社会は、もはやその自由だけで成り立っているわけではない。いや、自由そのものに対する価値観が変わったというべきか。 かつての自由な移動は、今ではときとして無駄に感じられることもある。私たちは、自由の名の下に、効率性や迅速さを求めるようになり、鉄道の使い方も、かつてのような奔放なものではなくなった。 たとえば、鉄道というインフラの運営において、今や効率化が最重要課題となっている。地方路線が次々と廃止され、ダイヤの見直しが行われ、鉄道会社の生き残り戦略として、より効率的で採算が取れる路線への注力が進んでいる。旅の自由という価値が、企業活動としては成り立たなくなってきたのだ。 これを見過ごしてしまっては、未来の鉄道がますます無駄なものになっていくばかりだろう。旅の自由が、無駄であり、無駄を許さない社会では通用しなくなったということだ。