続くお笑い芸人の海外進出「出演」と「活躍」の〝リアル〟な温度差 現地の人気者は「住まないと意味ない」
過去の海外進出の事例は
過去にも、本格的な海外進出を図った芸人はいる。例えば、かつて「平成の明石家さんま」との触れ込みで活躍したぜんじろうもその1人だ。 司会を務めた関西ローカルの深夜番組『テレビのツボ』(毎日放送)が大ヒットし、鳴り物入りで東京へと活動拠点を移したものの、当時のテレビ関係者の求めるものと自身の芸風との間にギャップが生じ、仕事が激減。そんなときに頭に浮かんだのが、舌鋒鋭い話芸で知られる師匠・上岡龍太郎から聞いていたスタンダップコメディーだった。 当時のバラエティーの雰囲気にも違和感を覚えていたぜんじろうは、1998年に単身アメリカへと渡り、現地のコメディークラブなどで修業を積んだ。2001年の帰国後は、オファーがあれば海外に出向き、国内でスタンダップコメディーを根付かせるべく活動している。 変幻自在のコメディアン・清水宏も海外志向が強い。2011年から英語コメディーグループ「Tokyo Comedy Store」に所属し舞台に出演する一方で、スタンダップコメディアンとしても活動をスタート。イギリス、アメリカ、カナダ、韓国などに出向いて現地語で海外公演を重ね、2015年にカナダのフェスティバルで最優秀外国人パフォーマー賞を受賞している。 翌2016年には、ぜんじろうらと「日本スタンダップコメディ協会」を設立。長らく会長を務めスタンダップコメディーの発展に尽力したが、今年4月に「スタンダップコメディの名前を広めていくのに一定の役割を果たし終えることができた」などの理由から解散を発表。とはいえ、以降もスタンダップコメディアンとして精力的に活動している。 2人に共通するのは、英語圏の国で主流のスタンダップコメディーを体得し、それぞれのやり方で海外の笑いに挑戦してきたことだ。彼ら以外にも、決して国内での知名度が高いとは言えない芸人が、各国で地道な活動を続け、着実に基盤を築いてきた、という経緯もある。