ビッグボス伝説【虎の立志編】
驚異的な肩
大好きなヴェルサーチを身にまとう新庄。初々しい![1993年]
日本ハム監督に就任した新庄剛志監督。現役時代から常識にとらわれぬ自在な言動で話題を集め続けてきた男だ。今回はプロでのルーツ、阪神での背番号63時代をクローズアップしてみる。 「はっきり言って、こいつはバケモンだなと思いました」 1988年から阪神二軍コーチをしていたダンプこと辻恭彦さんが言う。新庄剛志の入団2年目、91年の二軍でのシート打撃で、新庄が外野から転向したショートを守り、ダンプさんがファーストに入ったときだ。 「低くてワンバウンドするかと思ってミットを下に構えたら、うなりを上げて、ぐっと伸びてきた。飛び上がって何とか捕りましたが、慣れていない人なら体にぶつけたんじゃないかな。あんな内野手の送球、その前もそのあとも見たことありません」 ただし1年目、90年については「ほとんど印象にない」という。今回は当時の『週べ』の記事からドラフト5位、背番号63の、まだ何者にもなっていない、ビッグボスのあすなろ時代からブレークの92年までを中心に紹介していきたい。 少年時代の野球の師匠は、造園業をしていた父親だ。 「オヤジとキャッチボールをするときは、いつも坂のきついところ。父は下から投げてくるんだけど、この球が速くて、よく後ろにそらすんです。坂道だから待ってさえいれば戻ってくるんだけど、オヤジはそれを許さなかった。ボールが反転するまでに取ってこいと怒鳴るんです。あのころはいつも泣いてましたね」 と新庄。小学6年のときには、子どもながら自ら先頭に立って野球チーム「長丘ファイターズ」をつくったが、父親はそのコーチとなり、息子に情け容赦ないノックを浴びせかけた。ただ、新庄は決して弱音を吐くことなく、「すべてにおいて尊敬する」という父親に正面からぶつかっていった。 西日本短大付高では甲子園には一度も届かなかったが・・・
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週刊ベースボール